6/6/10

私の旅

結婚をしてから、新しい出発を夢見て私がアメリカに来たのは2001年の春だった。
新婚生活を楽しむ間も短く私の体は病気を発症して、正しい診断のためにと見たこともないような小さな飛行機に乗って飛んだこと(っていうか輸送された)もあった。日本で本格的な治療を受けるめに、ニュー-ヨークの貿易センタービルのテロによる崩壊後、警備の厳しい中、日本へと、飛んだこともあった。その後も術後の傷口の問題で何度も私は日本とアメリカをひとりで行ったり来たりしていた。それは心の傷であったり、開いてしまった体の一部の表面がなかなか直らないっていう、その時にはとっても大きな人生の大事だって思えていたことが、今日はとっても小さなことだったかのように思える。
あの時は目の前のすべてが私の気持ちに反していて世界中で一人ぼっちの気分を良く味わったものだった。たくさんの人を傷つけたし、私も痛かった。
でも今思えば、世界に反していたのは私の視点、姿勢であって、この世界にあるすべてのものは最初からいつも変わらず素敵ですごいものだった。そのことに最近気づくことが出来た。どんなにすばらしい絵でもその上に落ちたいっぺんのチリに顔を近づけて気をとられていたら、どんなに目を開けていても、その絵の良さ、すばらしさを鑑賞することなんて絶対出来ない。
これからは一人を感じるとき、混乱に直面して足がふるえるときこそ一歩ひいて、一呼吸おきながらものごとを見通せる人でありたいなと思う。
足を振るわせながらも乗り越えてきた私の日々は世界にひとつしかない私だけのために作られたはすごい宝物の発見と冒険、そして、ポケットにすでに入っていた宝石に加え更なるたくさんの宝石を増やしてくれた。
私は病気をしてからというもの、そのせいでたくさん傷ついたり、たくさんなくしたとばかり思っていたけれど、なくしたものなんてただひとつと無くて、ただ得るばかりの旅だったと最近気づいた。
宝物はこの世界にどこにでもある。そして誰のポケットも本当はいろんな宝物でたくさん埋まっている。
手に一番心地いいもの、こころに響くものだけをそのポケットから出して確認し、眺め慈しみ続けることができる限りその手に触れるすべては宝石で、それが一生失うことのない貴重な財産だ。
私にはそれが誰よりたくさんあって、私は誰よりも恵まれた幸せ者だ。
私はあんなにつらかった病気に感謝し始めてる。
それを教えてくれたすべてにありがとう、だ