11/30/10

痛い

信頼していた人に裏切られちゃった。出あった時からこうなる、めんどうなことになるって頭のどこかで最初から分かっていて距離を置かなくては距離をおかなくてはとしきりに思いつつも、ズルズルと続いていた友人関係だった。個人的に送っていたメールもまわし読みされてた。別に起こってしまったことを気にしすぎるのも時間とエネルギーの無駄で、忘れてしまったほうが楽なのだろうけれど、まだ気持ちの整理がつかずにいる。
信じていた分、ちょっと辛い。そんな人を信じてきた自分もちょっと恥ずかしい。私の人を見る眼もだんだん鈍ってきてる?私の信じ方が足りなかったの?。たまらないなあ。どんな痛みでも慣れていくことを願いつつ
何かにすがるようにまたまたニーチェの本を開いてみた

だまされた人の悲しみ
あなたが誰かをだましたりするとその人は悲しむ。だまされたことで何か損を受けたからその人は悲しんでいるのではない。その人がもうあなたを信じ続けられないということがその人を深く悲しませているのだ
今までのようにあなたをずっと信じていたかったからこそ悲しみはより深くなるのだ。
Sorrow of the person deceived
When you deceive someone,the person feel sorrow,not because he lost something or profit because of the deception,but because of the fact that he cannot keep trusting you,is the sad thing



人を恥じ入らせることは明白な悪のひとつだ。
悪人は人をはずかしめる。盗みも殺しも人をはずかしめることだ。暴力はもちろん、小さな喧嘩においてさえ相手をはずかしめる言葉を使うものだ。自分が悪を行えばそれは自分をはずかしめるばかりではなく恋人を親を友人をもはずかしめることになる。さらに人間存在そのものをはずかしめている。だから本当に自由に生きている人間とはどんな振る舞いをしても恥じ入らない境地に達した人間のことだ。その彼はもちろんほかの誰をもはずかしめることもない
To humiliate someone is one of the clearly defined evil acts
Evil person humiliate a person.  Act of Stealing,killing are act of humiliation.Surely, Violence,or even small quarrel,they use words to humiliate people.  If I commit evil act, that will not only humiliate self,but also would humiliate lover, parents and friends,and eventually humiliate human being itself
Therefore people who live freely is the people who reached point of "no humiliation" where never to  humiliate anyone no matter how they behave,surely they never humiliate themselves.


「ニーチェの言葉」 (白取春彦訳)より

戦士 (Jedi )

高校時代、よい教師に恵まれていた私はある春にリーダー研修という研修会に参加するよう指示された。集団である場所に集まっていろいろな活動をしたのだが具体的に何をしたのかよく覚えていない。きっと参加することに意義がある程度の講習だったのだと思う。その会の締めくくりは円陣を作った参加者と共に集うなかでいろいろな発表があり、私は最後にみんなの前で詩の朗読、献詩をした。その詩はあらかじめすでに選ばれ、決められていたものであったけれども、私の日記にきちんと記されていたぐらい印象深いものだった。

戦士     福重紀子

生きることは闘いだから
僕らは孤独な戦士
使命を与えられ
この世に生を受けた
「未来をこの手に」
自分自身の人生を勝ちとれ
孤独な闘い
けれどもきっと気づくだろう
決して、ひとりではないということに
君が傷つき倒れたとしても
誰も君を見捨てはしない

 warriors
Since to live is about fighting,
We all are lonely warriors,
Given mission to own life,
Given life to this world,
"Future into this hands"
Win your own life,
Lonely fighting,
But you would realize (soon)
That you are never alone,
 Even if you fall beaten hurt.
 No one would abandon you behind

-my translation

ベビーブーム時に生まれた私の世代の受験戦争はそれまでになく厳しくて、何をしようにも倍率は記録を塗り替えていくような状況ばかり。、バブルがはじけそうな時代の真っ只中で、学生時代の私はとにかく後悔のないようにとそのときできる勉強を熱心にとにかく励んでいた毎日だった。それでも、どこか拭い去れないウツを自分の中に 背負っていた私はこの詩になんともいえない慰みを見たのだと思う。

私はその当時も今も変わりなくテレビや国際情勢に興味を失ってる。最近特にいろんな本を読んで、戦うということの意味を知った最近は、その表現自体にも興味をなくしていったのだった。でも、もしこの世に戦うことがあるとしたら、自分自身や個人の自由、心の自由を守るためかもしれない。
 fight  against war fight against drug, fight against cancer(アンチ戦争、アンチドラッグ、アンチ癌) というすべてを敵と味方、そしてそこには闘いがあるとする見方や風潮に対して、attackers only attack themselves (攻撃者は攻撃者そのものしか傷つけることしかできない という表現がいつも私には思い出される。人の行いの結果というものが、一時的にどんなに不正義で不公平に見えても、人の良さを、正義を信じぬくこと、どんなにある人が俗にいういけないことをしていても、その本当の人となりは善であるということを信じること、それもひとつの闘いのようで私は時々混乱してしまう。
turn the other cheek とはこのこと?おそらく戦争反対ではなく平和の大切さを、癌との闘いではなく健康のありがたみと快適さ、命や人生の大切さをを、ドラッグを憎むよりもドラッグのない生活の快適さ、人生のすばらしさをもっと語ろうということかもしれない。その上での孤独な闘いって、目の前にあるもの、見える有様にもかかわらず、自分が信じることに忠実に話し行動できる存在であることかもしれない。




エイブラハムとの対話の中で、ジェリーがエイブラハムに聞いたことがある。
私があなたの教えを信じても、信じていない他の者は私をいいように利用したり私が攻撃されたりしてしまう怖れがあります。自分の身を守るためにどうすればいいのでしょうかと。
 世の中には弱い立場の者をくい物にするような犯罪、弱い者、弱い女性だけ乱暴したりするようなことが起きているのです。レイプ(強姦)をそのたとえにするならばレイプをするものだけを一所に集めて隔離してしまうことができればえばこの世はもっと平和になると思いませんか。
この世はすでにそれが完璧な方法でなされているとエイブラハムは答えるのだった。人というのは思考、考えによって、またその注意、関心の波長によって事象を引き寄せる存在である。類は友を呼ぶ、(bird of feather flock together)といった、それがLaw of attraction(ひきつけの法則)の基本である。そしてそれが現実、物質世界に現象化するにはその存在がひきつけた事象と同じ波長になることによるのだ。(Law of Allowing) そのふたつを理解すれば、被害者と加害者の波長が重なり合うことでそこにそういう事象が起きる、そういった経験が生じることがとわかるだろう。(怖れや心配といった思考(波長をもって)なしに、人が加害者と同じ波長になったり被害者になるということないのだ。そこを理解していないからそういう心配が生じているということに過ぎない。(逆に言えば、被害者にならないような、関心やその波長を持たず、いつもポジティブな波長を持つ人はそういう経験からはじめから安全なのだとブラハムは答えるのだった。


よってなにかに対峙するには愛するとか理解するということ以外
闘う方法はないようです。闘うということは本当はそういうことかもしれない。
だから一人ひとりはこの詩に見られるような戦士というのではなくてStar warsの映画の言葉を使うとひとりひとりがJedi といったところだと思うの。
いかがでしょう?かっこよくない?
May the force be with you.....
:)

THE HEART SUTRA?(般若心経)

 仏教の般若心経だけは以前から写経をしたり、けっこう親しんできた方だと思う。でもいまだにすべて暗記できていない。お恥ずかしい話。こんな短くも多くの漢字の列挙なのに、実はいろんなことについて語っている凄くも尊いものだということだけはわかるようになった。本当のところはまだ理解できてないのかもしれないけれど、この世の現実というものをよく記述しているのかも。なぜお経というものが存在するのか私には分からないけれど、日本で伝統的に言われているような言霊(言葉に宿っている力のようなものは信じている。もしかしたらマントラやお経というものは耳で聞きいたり意味をとったりするものじゃなくてたましいのレベルのものかも?とちょっと思ったのでここで引用。生きて死ぬ知恵(wisdom for death of living)からの抜粋です



Heart Stra( HANNYA SHINGYO)
観自在菩薩
行深般若波羅蜜多時
照見五蘊皆空
度一切苦厄

舎利子
色不異空
空不異色
色即是空
空即是色
受想行識
亦復如是

舎利子
是諸法空相
不生不滅
不垢不浄
不増不減
是故空中
無色無受想行識
無眼耳鼻舌身意
無色声香味触法
無眼界乃至無意識界
無無明亦無無明尽
乃至無老死
亦無老死尽
無苦集滅道
無智亦無得
以無所得故
菩提薩多
依般若波羅蜜多故
心無けい礙
無けい礙故
無有恐怖
遠離一切顛倒夢想
究竟涅槃
三世諸仏
依般若波羅蜜多故
得阿耨多羅三藐三菩提
故知般若波羅蜜多
是大神呪
是大明呪
是無上呪
是無等等呪
能除一切苦
真実不虚
故説般若波羅蜜多呪
即説呪日
羯諦 羯諦
波羅羯諦
 菩提そあか
 般若心経

観自在菩薩が
彼岸に至る知恵を深く実践するとき
この世に存在するもの(色、受想、行、識)の肉体や精神の構成要素はみな空なりと照見し
一切の苦厄を渡したまう
舎利子よ(修行者よ)
色は空に異ならず(この世の森羅万象はなにもないことと異ならない)
空は色に異ならず(なにもないからこそ形あること物質的現象も起こりうる)
色は即ちこれ空なり(一切の形あるものがそのままでありながらなにもない)
空は即ちこれ色なり(なにもないことが、そのままかたちあるものを現出している)
受想行識も(感受作用,表象作用、意思作用、認識作用も)
またかくのごとし(色と同じく実態がない)
舎利子よ修行者よ)
この諸法は空想にして(すべてのものは空のありようを免れない)
生じず滅せず(生じることもなくなることもなく)
けがれず浄からず(汚れているのでもなくきれいということもない)
増ぜず減ぜず(増えるということもなく減るということもない
このゆえに空中には(実体がないという立場においては
色もなく、受想行識(感覚、知覚、表象、認識などの心というもの)もなく
眼耳鼻舌身意(知覚認識の基本,六根)もなく
色声香味触法もなく
限界もなくないし意識界もなく(眼に見えるもので成り立つ世界もなくまた意識にこうせいされているような世界もない)
無明もなくまた無明の尽くることもなく(無智もなくまた無智がなくなるということもない)
また老死もなく
老死が尽くることもなく
苦集滅道(人生の苦しみとその原因、煩悩を滅ぼすことやその実践法)もなし
智もなくまた得もなし(悟りを得る知恵というものもなく悟りもない)
得るところなきもってのゆえに(えるべきものはなにもないのであるから)
菩薩は(悟りを求めて修行する者は)
般若波羅蜜多に依るがゆえに(彼岸に至る知恵によって)
心にけいげなし(心にこだわりやわだかまりなし)
けいげなきがゆえに(こだわりやわだかまりなきがゆえに)
恐怖あることなし(なにも恐れることがない)
一切のてんどうむそうを厭離して(あらゆる本末転倒している妄想を遠ざけて)
涅槃をくぎょうする(絶対的な心の安らぎの境地をきわめつくすことができる
三世諸仏(過去現在未来の諸仏)
般波羅蜜多に依るがゆえに(彼岸に至る知恵によって)
とくあのくたらさんみゃく三菩提を得たもう(この上ない正しい悟りを得たもう)
ゆえに知るべし般若は羅蜜多は(彼岸に至る知恵は)
これ大明呪なり(偉大にして神聖なる真言)
これ無上呪な呪なり(この上ない真言)
これ無等等呪なり(比べるもののない最上の真言)
一切の苦をよく除き
真実にして虚ならず
ゆえに般若波羅蜜多の呪を解かん
すなわち呪を説いて曰く(その真言とは次のとおり)
ぎゃていていぎゃていはらぎゃていはらそうぎゃていぼじそわか般若心経
いく者よいく者よ彼岸に行く者よ彼岸に完全に行く者よ悟りよ幸いあれ


「生きて死ぬ知恵」より

Kanjizaibosatsu,
who freely perceives all things,
practicing the perfect wisdom,
cast the light of perception on the five
elements that compose all worlds
and saw that they are all emptiness,
and thus overcame all afflictions and disasters,and spoke:
O Sharishi,
form is none other than emptiness,
emptiness is none other than emptiness
emptiness is none other than form.
Form- it is in fact,emptiness.
Emptiness-it is,in fact,form.
To sense,to imagine,to will,
to conceive-
they too are  all like this,
Thus, Sharishi,
all these are,
in character, emptiness,
They are not mere things that appear or disappear.
Nor are they things impure or pure.
Nor do they merely
increase or decrease.
And so,within that emptiness,
there is no form, there is no sensing,no imagining,no willing, no conceiving.
There are no eyes, no ears, no nose, no tongue, no body,no mind.
There are no sights,
no sounds, no smells,no tastes, no objects felt,no realms conceived.
There are no worlds,
from” there is no world of eyes” to” there is no world conceived by mind”
There are no twelve cause of pain,
from “there is no ignorance,
and there is no extinction of ignorance”
to ”there is no decay and death,
and there” is no extinction of decay and death”
There are no four truths-
of pain, of desire that is the origin of pain,
of the obliteration of that desire,of the path to that obliteration.
There is no enlightenment,
and there is no attaining of enlightenment,
because there is no attaining of enlightenment.
.Because one who quests for enlightenment, relies on the perfect Wisdom,
his heart is free from obstacles.
Because he is free from obstacles,
he has no fear.
Released from all inverted thought and dreamlike delusion,
he enters into the ultimate Nirvana.
All Buddhas,all awakened being of past,present and future,
relying on the Perfect Wisdom.
Attain the supremely correct, universal wisdom,
and thus realize that the Perfect Wisdom
is the great mantra, the great mantra of enlightenment,
is the peerless mantra,
the mantra beyond compare.
It can relieve all suffering.
It is true,
it is not mistaken.
And so he chants the mantra of Perfect Wisdom.
Thus does he chant:
GYATEI GYATEI HARAGYATEI HARASOGYATEI
BOJISOWAKA HANNYA SHINGYO

(生きて死ぬ知恵柳澤桂子著よりの般若心経英訳抜粋) 






















































































































































































































































































Possibility

When I asked a doctor about some one's possibility of recovery, His answer was that when talking about brain cells,there is no clear cut answer as either zero or one,or there is no dead cell or a cell still  alive,the sort of distinction.  It probably always somewhere "between"  I thought if its not zero, its great chance.  Later he claimed he did not remember what he said  but the impression, and the amazement stayed in    my mind since then.
.As much as it was serious subject to me talking about the recovery,or possibility of recovery at that time,I thought it was interesting. In theory, dead brain cells never get recovered,or back to "normal"yet it could create extra pathway or connections surrounding the damaged area..
  I started believing that not just talking about brain cells,but everything probably is matter of the fraction.  When brain cells are not categorized zero or one,probably,people's mind cannot be measured either zero or one,either but could be possibly expressed by fractions? 0.0000000000X? and we always could define X at any time.
Therefore,where zero is nothingness and one is manifestation or point of dreams come true,to bring things to fruition.  power of brain, power of mind to  whether settling continuous nines to one... or settle for zero is pretty big decision.

 Whenever I feel I should give up something,or think of something superior existence, this analogy come to my mind.
There seems to be "possibility" where you want it to be and where you pay no attention to stays zero or "nothing"ness..
I see rather nothingness,but some kind of creation.

If I use law of attraction analogy here, wherever you pay attention to,with a thought, you draw essence of the possibility to physical manifestation
If I employ Pascal's words about a man,”a man is like a reed that think”

or just simply, seek you shall receive"
or Heart Sutra

11/29/10

Law of Attraction5

http://www.youtube.com/watch?v=gdXyEEE5OVA

簡単意訳
ひきつけの法則とは存在そのものの特性、もしくは思考によって焦点や関心をそそぐものと同じ要素のものがひきつけるということだ。そこを利用していい人生経験を送るためには求め、求めたものを受け取るためのというステップを理解する必要がある。そのArt of Allowingとはあなたという ”だった” 存在からなりたい存在への波長というレベルにおけるギャップを埋めるということ。多くのものはその中間地点に生きている。そのような状況にいる者に対して私たちは本を書いた。求めよそうすれば与えられる。 いろいろな詳しい説明と共にそれをかいたのだけれども、
要はあなたの世界に存在する、抵抗そのものを取り除くことによってあなた自身がよくかんじられるような状態、vortexという状態が生じることが大切なのだ。現実世界に存在するものごとの一番明るい部分に焦点を当て抵抗をなくした状態が重要なのだ。
あなたという存在そのものがソースエネルギーのレベルにブレンドすることで内在するソースエネルギーの視点でものごとを見始めることができるようになる。そのときあなたははいろんな真実を知るであろう。もしよくいきたいと思うのなら、自分が何をしているときであれ、どんな状況におかれているときであれ、自分がよく感じること、いい気分であるということより重要なことはこの世界にはないのだ。
あなた方ひとりひとりは拡大を続ける存在であるから、あることを知ってしまい拡大を遂げた後に知ってしまう前の存在に戻ることはできないのだ。そこには拡大あるのみである。

Law of Attraction4

http://www.youtube.com/watch?v=sb749f30Z8w

人が考えというものに注意関心を持ち、それに基ずく現象を理解し始めると、人というものは何が正しい思いで何が正しくない思いかを思いあぐね始める。たくさんの考え、思想がこの世にはあふれすぎているのだから。そして大多数の意見が正しいはずと思いがちになる。しかし、あなたにとって正しい考えはその他の人にとって正しいとは限らないし、他者の考えがあなたに最も適した考えであるとは限らないのだ。
あなたたちは目に見える以上の存在なのである。この現実世界に現れた、永遠の存在であり、この肉体を持ってこの世に存在するはるか以前に存在していた。あなたが生きたすべての生を元に拡大し続ける過程と結果の存在であり、そこには無意識の流れとしてAll that is、もしくは神のような永遠性や存在がある。
あなたたちに内在するソースエネルギーがあなたの持つ願望に沿って人生の中で拡大し続けていくのだ
誰かが無礼であれば、貴方は自分もその人にも礼儀正しくあってほしいと思う、何かがなければ欲しいと思い、
十分なお金がなければっもっと欲しいと思い、体調が悪ければよくなりたいと思う、それが願望の本質である。この対照こそが願望が生じるための最適な環境なのである。

そしてその願望こそ、拡大の足がかりであるのに叶わない、自分の人生が恵まれていない、もしくはうまくいかない理由を、運、宗教、運命、カルマ、神など、うまくいかない理由、現実ばかりを作り出している。そういった言い訳は可能性の拡大に向かうあなたという存在を後ろから抑えている事象そのものであり、願望とあなたという存在の距離を大きくしているのだ。

Law of Attraction4

あなたが感じる感触や感情こそ一番頼りになるあなたの世界のものごとの指針である。
すべては考えや思いが初めにあり、それが現実に現象化したのがあなたの現実世界である。
あなたが人生に対し前向きでやる気に満ちているとき、感謝を感じるとき、あなたの世界はそういうったポジティブなもので満ち、発展していく。あなたが怒りを感じていたり心配を持っているとき、あなたの世界で発展していくのはそういったネガティブなものになる。
ひきつけの法則は願望を打ち上げるユニバースに対して、意識の見たいもの、焦点を当てるものをただ吸収し現象化し続けるものである。
よって、何かに対してNO というような行為、戦争、テロリストに対して、エイズに対して、貧困に対して、ガンに対して、何かに対し、反対するとき、戦うときはやって来い好ましくないもの!と言って入る行為に過ぎずただ好ましくない事象を大きく拡大しているにすぎない。

欲しいもの、欲しい事象のみに焦点を当てることによってのみで好ましい事象を経験に招き入れることができるのだ。
なぜならすべては波動としての考え、思いがあってすべてが現象として存在し、無意識の意識が現実を創造、発展させるポイントそのものだからである。

何かをしたとき、すべてが流れに乗っている状態、何ものにも抵抗せずともすべてが、た易く進む事象、その感触こそ自分が喜ばしい道を進んでいる事実そのものなのである。あなたとその偉大な好感触の流れからあなたという存在を切り離してみることはできないのだ。

たとえばエスターとジェリーがラフティングを経験したときのようなもの。あなたが生きている生命の流れというものはよい感触をあなたに与えるべきもの。ものごとひとつひとつにはよい感情、感触を与える激しい流れというものがあり、それに沿っていかなければよく感じることなどありえない。人というものの行為は気持ちに沿っていけば本当のあなたらしく人はよい方向にのみに進んでいく存在なのだ。ラフティングの例にもあるように、その気持ちの流れに逆らって行くことによって感じられる感触、またはその行為そのものに、喜びも楽しみもないのだ。

Law of Attraction3

http://www.youtube.com/watch?v=Mu3j1ztEyKs

人が考えというものに注意関心を持ち、それに基ずく現象を理解し始めると、人というものは何が正しい思いで何が正しくない思いかを思いあぐね始める。たくさんの考え、思想がこの世にはあふれすぎているのだから。そして大多数の意見が正しいはずと思いがちになる。しかし、あなたにとって正しい考えはその他の人にとって正しいとは限らないし、他者の考えがあなたに最も適した考えであるとは限らないのだ。
あなたたちは目に見える以上の存在なのである。この現実世界に現れた、永遠の存在であり、この肉体を持ってこの世に存在するはるか以前に存在していた。あなたが生きたすべての生を元に拡大し続ける過程と結果の存在であり、そこには無意識の流れとしてあなたにそそがれるAll that is、もしくは神のような永遠性がある。
あなたたちに内在するソースエネルギーがあなたの持つ願望に沿って人生の中で拡大し続けていくのだ
誰かが無礼であれば、貴方は自分もその人にも礼儀正しくあってほしいと思う、何かがなければ欲しいと思い、
十分なお金がなければっもっと欲しいと思い、体調が悪ければよくなりたいと思う、それが願望の本質である。この対照こそが願望が生じるための最適な環境なのである。

そしてその願望こそ、拡大の足がかりであるのに叶わない、自分の人生が恵まれていない、もしくはうまくいかない理由を、運、宗教、運命、カルマ、神など、うまくいかない理由、現実ばかりを唱えて作り出している。そういった言い訳は可能性の拡大に向かうあなたという存在を後ろから抑えている事象そのものであり、願望そのものとあなたという存在の距離を大きくしているのだ。

Law of Attraction2

http://www.youtube.com/watch?v=lmRep5MXsB0

エスターは霊的存在である我らと波動を合わせることでこのように我らのためにものごとを表現することができるのだが、それは誰でもそのレベルの波動に達することで同じような情報にアクセスすることができる。同調することで我らはメッセージを送り、エスターがそれを受容し翻訳しているにすぎない。、一人ひとりもそのレベルの波長に同調し、混ざりあうことででいつでも同じ情報にアクセスすることが可能なのである。
その波長というものを無視して物事を行おうとするとき、このことを考えずに行動だけに頼るときあなたたちは自分の持っている力を軽視していることになる。
信念、確信とは何度も何度も考える考えや事実そのものである。
同じ考えの癖をもち続けるということは心地よいものであるし、自分の意見ではなく、他者に従うときのほうが簡単だと、怠惰になってしまうのが人というものである。
あなたたちはどこに焦点を向けて生きるのかという自由を与えられている。自分でほしいもの、ほしくないものを現実から選び出す自由を与えられているのである。であるのに、ほかの人の考えに合わせて生きることになれすぎている。病気だから、ほしいものがないからと、病気について語るほうが簡単であったり、ないものについて語ることのほうが楽であったりする。そのような考えというものがそのうち癖になり常時に存在する波動となり人生環境になっていくのである。
要するにあなたたちが感じるその感覚が現実をつくりだしているのだ

Law of Attraction1

http://www.youtube.com/watch?v=RTb6mKAwftA

あなたたちの存在は目で見える以上の存在であることを理解していますか。ここに集っている今も、大部分である霊的(非肉体的)な状態から生じ、今現実というものとここでかかわりあっているのです。あなたたちは波動の存在であり、あなたたちの存在というものから生じる波動によって生じている存在なののです。すべては霊的(非肉体的な部分と物質的な部分の相互活動にすぎないのです。肉体から感じること、見ること聞くこと味あうことのすべては、波動によるもので、それらは受容した波動の情報のひとつの翻訳結果にすぎないのです。
それぞれはこの世に同じような認識をもって生まれ、すべてはあなたたちひとりひとりに内在する、ソースエネルギーから生じると共に、あなたたちはソースエネルギーの存在でもあるのです。あなたたちはこの地球に観察をしに来たのでもなく、あるがままの現実をただ経験しに着たわけでもなく。願望をもつことによる存在の拡大を目的にやってきたのです。いろいろな欲しいもの、欲しくないものを自由に探検し、思い、考えや思いをもつことによって願望という名のとロケットをユニバースに向けて打ち上げ続けることであなたたちの存在とこの物質世界というものの拡大と発展がなされていくのです。
すべては考えというものから始まり生じていく、過程というもののの一部なのです。

Introduction to Abraham

http://www.lawofattractioninteraction.com/Ask-DVD.php






introduction to Abraham(一言一言を訳したものではなく、意味をとって要約したものです)

エスター
当初、瞑想を通じて達したところは、彼らとで出逢って、死者というものはすばらしい賢い存在だという思いと彼らという存在は果てしない知性の集合体であり、もう人という観念をもたない存在だということを認識したの。いろんなひとつひとつのパーソナリティを感じるし、とてもユーモアと愛に満ちた存在なの。彼らは一人ひとりが関わったことによる感謝の思いの集合体みたいなもの。

ジェリー
エイブラハムに出会う前の私たちの人生はすばらしいものであったけれども、エイブラハムと出逢ってからの人生はまた違った意味ですばらしく、口では言い尽くしようがないというインエフォバブルという言葉の意味を何度も何度も考えるプロセスそのものなんだ。理解すればするほど説明する言葉が要らないんだ。彼等の教えというものは電気というものの特性や電気が作られるプロセスを理解する前に部屋の電気のスイッチをいれられたようなもの。
人生の喜び、生きる目的はJoy にあるとエイブラハムは教えるけれど、私は個人的にそれはおかしい、Joy という状態に達するには少しの苦しみや努力、痛みといったものが人生には必要だとさえ思っていたのだけれど、そうではないんだ。人生は楽しんでいいんだ。ただ気持ちよく感じるということ、よく生きるということがすべてのゴールでありデザインなんだ。何故人はいろんな欲望、何かをしたい、ほしいという思いを持つかというと、それはその欲望を達成したときに気持ちよく感じるということを知っているからだということ。気持ちよく感じるために生きるんだよ。それをいろんな質問に対する答えとして確認する度になんてパワフルな教えだっていつも思うんだ。

エスター
人生についていろいろ分からないことはたくさんあったけれど、エイブラハムに出会ってから、何故それぞれの人は幸にも不幸にもはそれぞれ生きる人生に導かれていくのかということがもう疑問ではなくなってきたの。どんな状況でも理解できる答えや理由がここにあるの。理解できるからもう死を恐れもしないし、ある構築された価値観の中で何が正しくてただしくないかということを気にしなくてもいいいというところに理解が達したから、私は限りなく自由で幸せなの。

ジェリー
人生は考え方を変えることでいつでも変えることができるんだ。人間関係も夢もすべてそうなんだ。その結果としてより幸せを感じるし、人生がとても充実して感じられるんだ
語り手
エイブラハムとぜひ話させてください
どう私たちにあなたたちの存在を確かめ信じろということができるでしょう?
エイブラハム
エスターがここで行っていることはひとりひとりのそれぞれ誰もが行い得ることであり、本当は誰もが無意識に行っていることなのだ。ただエスターは瞑想を続けたことで多くの人が持ち得る無意識のレベルにおける抵抗や障壁というものをあまり持たずにいれるから、このようにエスターが私たちのために話しているようにみえるだけ。あなたたち一人ひとりも私たちも同じソース(源)エネルギーから生じたものであり、意識の存在、我々とあなた方の間にたいした違いはないのだ。意識というものからあなたたちという存在を切り離すことはできないのだから。我々はただそのソース(源)エネルギーがより純粋なかたちで集合したものである。

エイブラハムとはだれですか?

言葉というものは複雑なものだけれども、我々は肉体を持たない意識の集合体、限りない知識の集合体,振動体、思考そのものである。あなたという存在の最も純粋なものといえる。


今までに人間であった存在ということですか?

そこには問題自体に誤解がある。すべてを死と生、精神と肉体の存在を分けて考えることに誤解の元がある。実は我々もあなたたちもすべては意識の存在なのだ。精神性(霊性)(非物質性)があって初めて、その拡張した形として物質、(非物質性に)に基づく物質性があるのだ。あなたの質問をトースターを使って例えて言えば、何故トースターは電気というエネルギーそのものではないのですかと聞いているようなもので、電気というものはエネルギーでトーストをつくるトースターはエネルギーそのものではなくエネルギーが表象したものだということ。物質世界は意識が表現されたもの、思いによって生じた世界であり、あなたの世界を満たしている物質というものはもともとは同じエネルギーから生じた存在なのだ。



何故名前がエイブラハムなのですか?
それはエイブラハムという名前がエスターの無意識意識の中で一番適した名前であったから。エスターは無意識のレベルで我らの思いをのひとつの塊として、ンピューターがオンライン上でダウンロードするかのように受け取り、彼女の知りえる中で最も適した言葉で訳しているにすぎないのだ。我らはそれぞれすべての宗教の中心のアイディアでもあるから電話帳でも最初に掲載されるエイブラハムという名前が最もふさわしいでしょ
う?

11/28/10

Stream_No gain in pain?



日本語意訳
Stream(奔流) of Well being(幸福な状態)

あなたがカヌーに乗って流れの激しい川にカヌーを置き、上流に向けて一生懸命こぎ始めることを想像してください。
わたしたちがそこで言いたいのはどうして流れに乗って下流に向かっていかないの?下流に向かって流れに乗っていったらどうでしょうということなのです。

それなのにあなたたちはそれがあまりにも怠惰なことのように私たちに説明します。、そしてきっと私の母親や教師はそういうことを承認しないからと、だから私は上流に向かってこがなければならないという。この世の褒美や名誉、壁に飾られ、誇られるようなことはみんなこのようにがんばって上流にこぐことで成し遂げられたことのはずなのです。そうでなければフェアではありません。上流に向かって闘えば闘うほどいいにきまってるはずですと。たとえその結果死んでしまったとしても聞くところによるとそのご褒美は死後にもっとあるのだと。ここで覚えておいて欲しいこと、記録しておくに値することはあなたが欲しいものは上流にはないということです。
何故私たちがそう知っているかというと、我々には人生のサイクルというものがみえるからです。誰もが求めるような、人が幸せに感じる、ポジティブな感情を感じるときというのは
人がその流れに乗っている状態夜間上以外のなにものの状態でもないのです。

あなたの目には幸せの流れではなく、同時にには病気の流れ、悪の流れというものが存在しているはずですというかもしれないが、そうではない。ただひとつのwell being幸せの状態の流れひとつしかないのだ。ただその流れに沿っていくか行かないかそれだけである。
そして、我々にははその流れをせき止めるということがあなたという存在にどんなダメージを起こすかということもよくわかっている。
ただひとつの幸せの状態の流れというものがすべての根底にあるというなら、何故私たちはネガティブに感じるのでしょう?とあなたたちはいうかもしれない。なぜならそれはあなたたちが自分で激しくしている流れに乗っていかず流れの底にしがみついているからです。
そのな流れというものはあなたが好んで行く行かないに関わらずあなたたちを下流へとみちびく偉大なものです。
流れに沿っていく感覚、それにともなう感情というのがポジティブな感情、喜びや自信、幸せといったものなのです。あなたたちが想像するような死というものは存在しないが、我らのよく見る”くたばり”というものは存在する。あなたたちがその”くたばり”という瞬間を迎えるとき、あなたはその流れに乗って肉体を失いすべての抵抗を失った存在に再出現するのだ。(ゆえにそれで終わりというところの死は存在しない。)

ジェリーとエスターが激流のラフティング(川くだり)に参加したときのこと。、ラフティングのガイドは彼らに言った。私の言うことを聞いてください。この流れはとても激しいものだから、流れに沿っていかず、あちこちにある岩に乗り上げてしまったら投げ出されて危ないし大きな問題になり、流れそのものがあなたというものを打ちのめします。うまく岩をよけるための指示をよく聞いてくださいと。わたしたちもそれと同じことをあなたたちに言いたいのです。私たちが教えている偉大な流れというものに身を任せればすばらしい経験が待っているのです。その流れそのものも、神という存在やその他のものが試練として、さあどれだけよく乗り切るか観察しようとあなたに課しているものではないのです。あなたという存在そのものがその流れを速めているのです。自分が作り出した流れ、激しさにのっていかず、流れに逆らっていく感覚、怖れ、非力さ、すべて流れの速さに追いつかず逆らう感情や行為そのものから生まれるのです。その (人生の)川くだりを楽しむにはそういったネガティブな感情、抵抗をなくしていくしかないのです。

ある日セミナーの参加者であった母親がランチタイムに子供たちとランチを食べてまたセミナーに戻ってきました。そして、子供たちに聞いてきて欲しいといわれた質問を私たちにしました。どうして大人はこんなに気難しいのでしょうかと聞いてきて欲しいというものでした。
そして我々はは今まで聞いた中で、最も説明したい、いい質問だとして答えた。
大人は子供よりも気難しい。気難しい子供というものも存在するけれども、大人のほうが一般的に気難しく不機嫌である。なぜならそれは人というものは長く生きれば生きるほど流れそのものがどんどん早くなっていくのに、長く生きた分、空騒ぎすべきことも知り、その加速した流れにうまく乗っていけなくなっていくから。流れに追いついていくことができない状態そのものこそがネガティブな感情の源なのである。だから不機嫌になりやすい。
あなたという存在はもともと喜ばしい存在で、偉大な流れに乗って楽しみ行く存在なのです。そしてそのすばらしく感じる瞬間やそれに伴う感情にこそすべてを理想的に現象化していくためのエネルギーの源があるのです。そこを流れに逆らい、ネガティブにとどまったまま、その感情、状況ばかり感じて腐っていると夢の実現化が遅くなったり、人生の流れの中で夢が実現しなかったりしてしまうのです。

本当の人生において日々の本当の選択というのは流れに身を任すことができるかどうか、よく感じるかよく感じないか。その決定だけです。だふたつの選択しかないのです。よく感じられる方向を選ぶということは継続的に続くよい経験を生きるということにつながるのです。

このような我々の話を聞いた一部の者はよく感じたほうがいいということを理解し、じゃあ是が非でも下流へとがんばりはじめる。それでも、だからといってモーターをつけて早く下流にたどり着くようにと言っているのではないのです。根底にある偉大な幸せの流れというものはどんな状況にもかかわらずいつも流れているのです。その偉大さゆえ、ただ信じて上流に向けてこぐのをやめるだけでいいのです。後はその流れがすばらしい経験へとあなたを導いていくのだから。どのような状態においても、下流を向いて自分に安堵や息抜きを与えること、そのポイントこそがものごとがよくなっていく瞬間そのものなのです。あなたという存在はよく感じる方向に行くしかない存在なのです。







11/27/10

Second Hand Lions (movie)

昨年お友達に借りてみた映画の中で私のダントツのお気に入りの映画のひとつはこれ、Second hand Lions.
ストーリー自体は少し説明しがたいのだけど、一言で言うと母親に置き去りにされた人間不信一歩手前の一人の少年が遠い親戚に当たる二人のおじらとひと夏の時間をすごす中でのその少年の精神的成長を描いたお話。
興味深いのは何が本当(事実)で何が本当(事実)ではないかということがストーリーの中心ではないということ。私はこの映画の構成も俳優(ロバートデュバル、マイケルケイン)も大好きで思わす自分のDVD買ってしまったぐらい。ぜひお勧め。テキサスってどういうところなのだろうって思わず思いをめぐらせてしまうような映画でした。
ロバートデュバル演じるハブの信念としてのあるシーンでのせりふがこの全体のストーリーのメッセージの大本なんだと思う。いかがでしょう?

If you wanna believe in something,believe in it. Just because something isn't true,no reason you can't believe in it.
Sometimes the things that may or may not be true
but things that a man needs to believe in the most are; 
people are basically good; honor,courage,and virtue means everything; 
power and money,money and power mean nothing; good always triumphs over evil;
and I want you to remember this that love,true love never dies;
Doesn't matter its true or not, a man should believe those things because those are the things worth believe in
もしも何かを信じたいのなら、信じればいい 何かが真実ではないからといって、信じてはいけない理由にはならない
ときどき、いろんなことが本当であったり、そうでなかったりするものだ
しかし、人というのは基本的に善いもので、栄誉、勇気(度胸)や美徳が一番の意味を持つすべてであり
権力や金、金や権力はそういった意味を持たない
善は悪をいつも翻す
そして覚えておいてほしいことは愛、本当の愛(真実の愛)はけっして死することはない
それが本当かどうかということが問題ではなく、人は(男は)それらを信じるべきなんだ、なぜなら、それらこそが本当に信じる価値のあることだから

11/26/10

More than words Extreme

 another favorite song of mine...

http://www.youtube.com/watch?v=UrIiLvg58SY

 Saying "I love you"
Is not the words I want to hear from you
It's not that I want you
Not to say, but if you only knew how easy
It would be to show me how you feel

More than words
Is all you have to do to make it real
Then you wouldn't have to say that you love me
'Cause I'd already know

What would you do if my heart was torn in two
More than words to show you feel
That your love for me is real

What would you say if I took those words away
Then you couldn't make things new
Just by saying "I love you"

More than words

Now but I've tried to talk to you
And make you understand
All you have to do is close your eyes
And just reach out your hands
And touch me
Hold me close, don't ever let me go

More than words
Is all I ever needed you to show
Then you wouldn't have to say that you love me
'Cause I'd already know

What would you do if my heart was torn in two
More than words to show you feel
That your love for me is real

What would you say if I took those words away
When you couldn't make things new
Just by saying "I love you"

More than words
More than words
More than words
More than words
More than words

Teenage Graffiti

死んだ者のために
音を描く人がいる
本当に深い悲しみを
音で描く人がいる
何気なく出逢ったこの音に
いつの間にかおっかかっている
何気なく出逢ったこの音が
愛しくて離せない
大好きな存在を失った
音を描く人がいる
今聞く音はつらくないけれど
音は強さを私に伝える
本当に深い悲しみを
越えた人が描く音を
私は静かに
ただ静かに聞く


ひとつの評価は私を縛る
誰かの何気ない一言が
いつの間にか私を縛る
その一本一本に気づき
ほどくまでに
私はいくつもの時をすごすのだろう


ひとつの思いは私を止める
それは私の中から生まれるものであり
誰かから投げられる言葉
そのひとつひとつの機会に
生きることを考える
ひとりになる機会に
生きることを考えている自分に
ほっとする


すべての人に好かれようなんて
いつも念じているわけじゃない
私の大切にする人を
いつも安心させてあげたい


何故書くの?といわれたら
私は何と答えよう
はじめは心に刻むため
そして誰にも見せずに
私を生かすためだった
そして今、いつか誰かに見てもらうため
私は何をしているのだろう
いままでの私を知って今までの存在の理由を知って
悲しんでいる
なぜ書くのだろう
なぜのこそうとするのだろう
私は今
心弾んでないのに
その気持ちまでも残そうとしている
何故自分で苦しむのだろう


 毎日隣にいて笑わせてあげたい
私の大切にする人を
悲しみから
助けてあげたい
何かしたいと思うとき
私はいつも
無力な自分に気づく
本当は助けてあげるほどの力なんて
少しも今残っていないのに


いつもいつも
思っていることが
それが真実かどうかも分からず
思っていることが目の前にありすぎる
いつもいつも
こうあろうとする姿を
いつもいつも
こうしたいという姿を
誰かに認めてほしい
その姿がどんなに愚かであっても
その姿がどんなに思い上がったものとしても
何か一言をください
わたしを許す一言を
あなたのすべてをください
とはいわない
わたしを許す一言をください


私の言葉
すべて私を伝える言葉
誰かを傷つけるかもしれない言葉
誰かを傷つけてしまった言葉
求められても返すことのない言葉
苦しくても
哀しくても
楽しくても
とまらない言葉
言葉という凶器を感じるたび
私は怖くなる
どんなに信じる自分の姿でも
私はこわくなる
言葉の存在がいつも私を苦しめる


時計の針は確実に元の場所へ戻っていく
絶対そう、なんていいたくないけれど
絶対そう、
なんていえる事なんてないけれど
時計の針は戻っていく
何かを感じながらも
言葉にならない私の気持ちは時計の針に
刺されたまま
なにもなかったかのように
元に戻っていく


いままでにない存在を手に入れる
泣きそうに大切で
守り続けたい
いつまでも何かを受け取るたびに
失うことのおそれが
心をふるわす
信じていいないわけじゃない
求めているのに
不安がつのる
それはきっと青い空気が流す
私への大きな渦となって
何かを受け取るたびに
私は何をしてあげられるのだろうと
考える
見つかるのは、いつだろう

あなたの横顔が何かを語る
目をそらしながら、見つめながら
隠そうとしない強さが
私を泣かす
楽にいきてるのかもしれないという
私の足跡が影をひく
もし、すべてが今消えてしまったとき心の中で何が起こるのだろう
たくさんのすれ違いの中で
本当に大切なものを
守り見出すことの難しさ

時は川のように
うねり、波立ち音をたて
すこしずつ大きくなる
川には滝があるかもしれない
時には滝もなく激しさもない
いつか小さな舟で動き出すなら
終わりのない時の流れを
すすもうか

心の底がのぞけるのなら
まず私の心を映し出そう
とても不可解で
とても手におえない
私の中のもの
誰かに見せる勇気もないのに
心の悲鳴だけは
時も
場所も
関係なく
響き続ける

助けてほしいときに
助けて、と言える
素直さ
期待と裏切りのはかりの上で
私は一言をためらう
私の存在の軽さの中に
存在の証拠を探している。
助けてほしいときに
助けて、と言える
そんなふうに素直に生きたい
その私は
誰かの叫びに応じることのできる人間でありうるのだろうか

何もないのに
少しの気持ちもうれしさも
同情だけが残る前に
離れてほしいのに
私はひどい人間だから
何も言う事もない少しずつ傷つけるより
拒んであげよう
何もないのだ
少しの気持ちもうれしさも
同情だけが残る前に
自己嫌悪に追われる前に

何ができるだろうと思うとき
選べるということは幸せなことだけど難しい
誰もが正しい人間を知ることはできても
そう自分がなりえる可能性は知ることができない
どこにいるのだろうと思うとき
難しさは生きる幸せの意味の答えを
はじきだすような気がする

今が純粋だとしたら
すべてがどんな色にみえるのだろう
昨日より、今日より、明日より
より大きく、よりきれいに気高く
求めすぎた人間を
どんな形で表すのだろう
苦しみながら求めて
夢を手にするかもしれない
かすかな望み
誰かは言うだろう
夢は必ずしも叶わない、と
しかし、誰かは言うだろう
叶わないものは夢である、と
人は目に見えない流れに
逆らっているつもりで
やはり大きく流されている

人は守ってくれる人を探し続ける
守られることを望み
人を求める
母の胎内にいたときから
守ってくれる人を探しつづけている
誰かの背中が冷たくて
守ってあげてほしい、と思う
それが自分ではないと
気づきながら
銃の国から忙しく安全な世界へ
トリップしたいといった人の心は
守られたいと
願った人のそれだろうか

もう少し、もう少し
何かを求めて
一生の間、いくつものものを手にするのか
人の波の間を同じ速さで流れる時間
叶えられる夢の大きさを
間違えた人は
小さな夢を持てばよかったと
後悔するだろうか
人それぞれに
思いに生まれるものがちがうからこそ
夢だけをもとめて
人は歩いていけるのだ


Thanks Giving_&Black Friday

昨日木曜日はアメリカの代表的休日サンクスギビングだった。今年は私のお友達の旦那さんのお姉さんの娘の家でサンクスギビングのディナーをご一緒させてもらった。七面鳥(ターキー)のお肉にグレービーソース、ブレッドスタッフィングにマッシュポテト、そしてサツマイモといった伝統的かつ典型的なディナーをおいしくいただいてきた。おなかいっぱい食べた後にはお友達の作った手作りパンプキンパイにイチゴのショートケーキをいただいて本当に大満足。パーティーのような場がとっても苦手で気の聞いたこと言ったりしたりできずとも、家族でもない私を家族行事の中に招いていただいて本当ありがたかった。一人暮らしで食生活がまず偏ってしまったり、パターン化してしまいがちな私にはいろんなものをすこしずつたべれるこういう夕食がとっても貴重。ご馳走様でした。もう長いことアメリカに住んでいるのだけれど、まだ一度もひとりでターキー焼いたりディナーを準備したりっていう主婦の仕事に携わったことない。結婚してたときは義理のお母さんかお父さんが、ターキー焼いたり食事を用意てくれていたし、そういう時は家族以外の人が家によばれてることがあっても私もお客さん扱いで何もしなくてよかったから。義理のお父さんが料理をするときは食べるのが大好きだった彼らしく、典型的ターキーディナーに加え、彼の大好きなものがほとんどテーブルにならべられていてハムやいろんな種類のポテトがならんでいたものだった。義理のお父さんがお酒飲んで荒れていて料理どころではないときには、もうすぐ離婚する夫が先だって料理をしたのだった。そのときの彼はただ料理に夢中になって、誰一人、人と会うこともなく出来上がった料理を実家に届けた後、私は彼と二人だけで、義理の父と母はそれぞれ二人でっていう一風変わったディナーををしたのを覚えてる。私の経験からいって家族行事とよばれるサンクスギビングディナーの意味は本当に様々。
、まだまだどういうことが”アメリカ式”なのかっていうこと よく分かってなくて、長い時間かけて学んできてるだけかもしれない。今年はとっても満たされたディナーをいただいてとってもthankfulだったのは確か。

 サンクスギビングの翌日はブラックフライデーなるお買い物バーゲンが恒例にあって、今年のこの外気の寒さと財布の寒さから、行くことをためらいつつも、結局お友達と参加してきた。早朝2時に起きて4時に開店するセールにいってきたのが今朝のこと。すっごく寒くて、足のつま先が冷えて感覚がなくなってきたぐらいだった。広告に出ていた75ドルのデジカメを買いたかったんだけど、お店に入るのに行列、そしてお店に入ってからもそれぞれのところで行列があって、カメラのためと思ってお店に入るまではきちんと並んでがんばったものの、カメラのための行列に途中で耐え切れなくなって、結局あきらめちゃった。あまりの混みように歩き回ることさえしんどかったのだもの。
日本の大きな駅での人ごみでさえ人にぶつからず、しかも流されずに歩き進んでいくのが極端に苦手な私。ああいう混んでるところは息が詰まって忍耐力そのものがなくなってしまうみたい。お店に入った時点でもうかなりくたくただったし、朝、早朝すぎて頭も廻らず。。結局、セールアイテムの室内用スリッパに部屋着のローブ、甥のちっちゃなズボン、チョコレート買って帰ってきたのだった。買ったものはそうそうぱっとしなくても、ああいうお祭り騒ぎけっこう大好き。その次に行ったお店は6時開店で、行列で並ぶ人にコーヒーの振る舞いがあって大感激。寒いときに飲むあったかいコーヒーって最高。
思いがけずに早起きした今朝、すっごい光ってる星があって、お友達の話では金星かもねとのこと。。めずらしい。。
しらじらと開けてきた早朝、家にやっと帰ってきて一眠りした今もまだくたくたの私なのだった。
Happy Thanks Giving everybody !!

11/25/10

Piano man

私は昔からピアノを弾く男性に弱い。ピアノの音大好きだし、それを男性が弾くというのをたまらなくセクシーに思えてしまうniche(ツボ)ががあるらしい。
中でも、ビリージョエルは私の大好きなアーティスト。昨日久しぶりに彼のウエブサイトにいってみて、お気に入りの曲をしばらく聞きいってしまった。私のアイポッドの中に入っているんだけどね。歌詞を見ながら曲を聞くのはまた違った楽しみがあるような気がするの。
私は彼の音楽、特に歌詞にいつも考えさせられつつその美しさに感嘆してしまう。
もちろん彼の曲、Piano manは私のお気に入りの中のひとつ。だからというわけではないけれど、私はgin and tonicが好き。
私が一番最初に夫を置いて家を出ようと決意し家を出た後、彼と話し合いをしに一度帰ったとき、夫と一緒に聴いた曲がビリージョエルのMy Life。それまで二人で一緒に聞いた曲といったらジョニーキャッシュのブルースっぽい暗めの曲が多かった。
私は意識的にその曲を選んだわけではなかったのに、意図的にその曲選んだの?とまじめに聞く夫を横目に結局二人で笑いながらその曲を聞き入ってしまって、互いに苦笑いしてしまったのだった。
 Longest timeは初めてひどい恋に落ちたとき、piano man とともにその彼に聞かせたいと切に思った曲。この二曲のよさを理解できない人とはきっといつまでも分かり合えないんだろうって個人的にいつも思うから。。Honestyもそのうちのひとつ。これは彼の歌詩の中でも私の断然のお気に入り。
すごいアーティスト。なのだ

  http://www.billyjoel.com/
http://myplay.com/audio_player/billy_joel/68/301701/301702?allowBrowsing=1

 Piano man
It's nine o'clock on a Saturday The regular crowd shuffles in There's an old man sitting next to me Making love to his tonic and gin He says, "Son can you play me a memory I'm not really sure how it goes But it's sad and it's sweet And I knew it complete When I wore a younger man's clothes" Sing us a song you're the piano man Sing us a song tonight Well we're all in the mood for a melody And you've got us feeling alright Now John at the bar is a friend of mine He gets me my drinks for free And he's quick with a joke or to light up your smoke But there's someplace that he'd rather be He says, "Bill, I believe this is killing me" As a smile ran away from his face "Well, I'm sure that I could be a movie star If I could get out of this place" Now Paul is a real estate novelist Who never had time for a wife And he's talking with Davy, who's still in the Navy And probably will be for life And the waitress is practicing politics As the businessmen slowly get stoned Yes they're sharing a drink they call loneliness But it's better than drinking alone Sing us a song you're the piano man Sing us a song tonight Well we're all in the mood for a melody And you've got us feeling alright It's a pretty good crowd for a Saturday And the manager gives me a smile 'Cause he knows that it's me they've been coming to see To forget about life for a while And the piano sounds like a carnival And the microphone smells like a beer And they sit at the bar and put bread in my jar And say "Man what are you doing here?" Sing us a song you're the piano man Sing us a song tonight Well we're all in the mood for a melody And you've got us feeling alright 
Keeping the faith
If it seems like I've been lost In let's remember If you think I'm feeling older And missing my younger days Oh, then you should have known me much better 'Cause my past is something that never Got in my way Oh no Still I would not be here now If I never had the hunger And I'm not ashamed to say The wild boys were my friends Oh 'Cause I never felt the desire 'Til their music set me on fire And then I was saved, yeah That's why I'm keeping the faith Yeah, yeah, yeah, yeah Keeping the faith We wore old matador boots Only Flagg Brothers had them with a Cuban heel Iridescent socks with the same color shirt And a tight pair of chinos Oh I put on my shark skin jacket You know the kind with the velvet collar And ditty-bop shades Oh yeah I took a fresh pack of Luckies And a mint called Sen-Sen My old man's Trojans And his Old Spice after shave Oh Combed my hair in a pompadour Like the rest of the Romeos wore A permanent wave, Yeah We were keeping the faith Yeah, yeah, yeah, yeah Keeping the faith You can get just so much From a good thing You can linger too long In your dreams Say goodbye to the Oldies but goodies 'Cause the good ole days weren't Always good And tomorrow ain't as bad as it seems Learned stickball as a formal education Lost a lot of fights But it taught me how to lose O.K. Oh, I heard about sex But not enough I found you could dance And still look tough anyway Oh yes I did I found out a man ain't just being macho Ate an awful lot of late night drive-in food Drank a lot of take home pay I thought I was the Duke of Earl When I made it with a red-haired girl In the Chevrolet. Oh yeah We were keeping the faith Yeah, yeah, yeah, yeah Keeping the faith You know the good ole days weren't always good And tomorrow ain't as bad as it seems I told you my reasons For the whole revival Now I'm going outside to have An ice cold beer in the shade Oh, I'm going to listen to my 45's Ain't it wonderful to be alive When the rock 'n' roll plays, yeah When the memory stays, yeah I'm keeping the faith Yeah, yeah, yeah, yeah Keeping the faith I'm keeping the faith, Yes I am
 Longest time
Oh, oh, oh For the longest time Oh, oh, oh For the longest time If you said goodbye to me tonight There would still be music left to write What else could I do I'm so inspired by you That hasn't happened for the longest time Once I thought my innocence was gone Now I know that happiness goes on That's where you found me When you put your arms around me I haven't been there for the longest time Oh, oh, oh For the longest time Oh, oh, oh For the longest time I'm that voice you're hearing in the hall And the greatest miracle of all Is how I need you And how you needed me too That hasn't happened for the longest time Maybe this won't last very long But you feel so right And I could be wrong Maybe I've been hoping too hard But I've gone this far And it's more that I hoped for Who knows how much further we'll go on Maybe I'll be sorry when you're gone I'll take my chances I forgot how nice romance is I haven't been there for the longest time I had second thoughts at the start I said to myself Hold on to your heart Now I know the woman that you are You're wonderful so far And it's more that I hoped for I don't care what consequence it brings I have been a fool for lesser things I want you so bad I think you ought to know that I intend to hold you for The longest time 
My life
Got a call from an old friend We used to be real close Said he couldn't go on the American way Closed the shop, sold the house Bought a ticket to the West Coast Now he gives them a stand-up routine in L.A. I don't need you to worry for me cause I'm alright I don't want you to tell me it's time to come home I don't care what you say anymore, this is my life Go ahead with your own life and leave me alone I never said you had to offer me a second chance I never said I was a victim of circumstance I still belong, don't get me wrong And you can speak you mind But not on my time They will tell you you can't sleep alone In a strange place Then they'll tell you you can't sleep With somebody else Ah, but sooner or later you sleep In your own space Either way it's okay You wake up with yourself I don't need you to worry for me cause I'm alright I don't want you to tell me it's time to come home I don't care what you say anymore, this is my life Go ahead with your own life and leave me alone I never said you had to offer me a second chance I never said I was a victim of circumstance I still belong, don't get me wrong And you can speak you mind But not on my time I don't care what you say anymore, this is my life Go ahead with your own life and leave me alone


Honesty

If you search for tenderness It isn't hard to find You can have the love you need to live But if you look for truthfulness You might just as well be blind It always seems to be so hard to give Honesty is such a lonely word Everyone is so untrue Honesty is hardly ever heard And mostly what I need from you I can always find someone To say they sympathize If I wear my heart out on my sleeve But I don't want some pretty face To tell me pretty lies All I want is someone to believe Honesty is such a lonely word Everyone is so untrue Honesty is hardly ever heard And mostly what I need from you I can find a lover I can find a friend I can have security Until the bitter end Anyone can comfort me With promises again I know, I know When I'm deep inside of me Don't be too concerned I won't ask for nothin' while I'm gone But when I want sincerity Tell me where else can I turn Because you're the only one that I depend on Honesty is such a lonely word Everyone is so untrue Honesty is hardly ever heard And mostly what I need from you

11/24/10

Teaching of Abraham

 私はキリスト教徒でもないし、仏教信者でもない。特にひとつのこだわった宗教観に執着もないし、日本の文化慣習として残っている神道、仏教に基ずく行事に参加することはあっても、それは私が日本人であるからであり、神道や仏教の教えを自己の宗教として信じているからではないと思う。日本の文化の一部としていろんな良い教えはところどころ気づいているし、すばらしさもなんとなく理解し、それなりに親しんできたとは思う。それと同様にクリスマスを行事として楽しむことはあっても教会へ行くということはありえなかった。仏教を家族の宗教であると公言するような家庭で育ちながらも、妹は高校から、私は大学からキリスト教の教えを教育方針とする学校へ行った。だからといって私はキリスト教徒ではない。じゃあ仏教徒か?というとそう強い思いもなく、そういう型にはまりたくないという思いのほうが強い。
宗教というものはあまり関心がなかった私がひとつひとつの段階を経てたどりついたのはエイブラハムの教えだった。とてもすばらしい教えだからここで紹介したい。


。私はエイブラハムの教えを信じている。でも、だからといってそこから生じるひとつの宗教観、エイブラハムの教え自体をひとつの宗教であるかのように思ってもらったり、ただ闇雲に信じようとお勧めする意図はまったくないということをわかってほしい。
 この教えに出あってからキリスト教や仏教に関心を持つようになったのは確かなこと。

エイブラハムの教えはジェリーとエスターというご夫婦の貢献によって世界に広められてるとっても貴重な哲学的アイディアで、日本でも翻訳出版されている引き寄せの法則という本、”シークレット”という全世界的ベストセラーになった人気本のアイディアの大源。
それらはエイブラハムの教え、そのもの、もしくはそれが発展したものなのだ。

エスターという女性がエイブラハムという霊的存在をチャンネルする媒体となって本を書いたり出版し、セミナーのような場で語ったり、一人ひとりの人生の質問に丁寧に答えていくのだけれど、そのやり取りの記録はとてもすごいの。
英語に自信のある人にはぜひ彼らのウエブサイトを楽しんでみてもらいたいな。無料で公開しているストリームはとってもすばらしい!アドレスはここ
http://www.abraham-hicks.com/lawofattractionsource/index.php

エイブラハムの語る引き寄せの法則(law of attraction

一言で言って、引き寄せの法則(law of attraction)は目の前の現実というものは一人ひとりの想像からなる創造であり、心の豊かさによって、現実的、物質的な豊かさがともなっていくのだということ。今存在する思いや感情が少し先の現実未来をつくりだしていく、のだから、今を充実させ、幸せに前向きに思考を変えることでその先の現実もその未来でさえもその今の変化に従って変化していくというもの
思いや願いをかなえるには、現実と創造(想像)の間のギャップを取り除き、自己の思いや感情といった存在をその達成まで高めることで成就、マニフェストされるとする。(law of allowing
よって幸せな思考回路をもつ人はどんどん幸せになっていくし貧しい思考回路を持つ人は貧しい想像からなる思考を変換するまでそのままの状態が続くというもの。。要するにそのときそのときの心の豊かさ、幸せで前向きな感情が日々の生活にダイレクトに現実に反映してくるんだよということ。表現を変えれば、幸せの源はそれぞれの中にあるのだということ、いつでも気持ちひとつで物事が変わりえるのだということ。でもいつも何がってもハッピーにって、ちょっと難しい。。
一言では説明しがたいのだけど、とっても奥が深くて、いつも彼らの答えを聞くたびに感嘆してしまうのでした。私の夢は彼らの記録を日本語に翻訳して日本に広めたいってことだったんだけど、テクノロジーの進んだ今、言語の壁とか、コミュニケーション上、それほどの障壁はないのかもしれないよね。ぜひごらんあれ。








Drug and Alcohol

 私には以前ドラッグをしていたというお友達がいる。円の中に正三角形はアルコール中毒からの回復者のシンボル。円の中に正方形は麻薬系の中毒からの回復者だと説明してくれた。円の中に正方形のシンボルを刺青にもつそのお友達はとても気持ちのいい人で、いつもやさしい空気をまとっている。アメリカの凄いところは、そういう中毒から回復し、立ち直った後、同じ状況にある人を助けようと組織を作って援助しようとする動きやプログラムが身近で活発だということ。そのお友達もその活動の一端を担っていてそこでの関与をよく話してくれる。助けを求めてやってくる人にとって、そのお友達の話を聞く耳を持っている人はやり直しとか回復への成功ビジョンをもつことができるだろうし、経験をわざわざ共有して助けようとしてるそのお友達のことを私はとても誇りに思う。
日本ではお酒が飲めて一人前のようなところがある。だけどここアメリカでは飲酒自体あまりよい事のように思われてはいない。もちろん、お酒は合法的でドラッグは違法なことであるから、その行為の良い悪いといった違いを簡単に比較したり議論できないほどのことであるとは分かっている。ドラッグでOD(オーバードース)してしまうことがあったり、飲酒運転で他者を死亡事故に巻きこんでしまえる可能性をも考えると、私にはどちらがどうとも言いがたくなってしまう。
人間って時に自分でも気づかなかなかったほど弱くなってしまう瞬間というのがある。お酒もドラッグもきっと悲しい状態が続くときの逃げ道として、同じ種類の「はけ口」のように私には思えて、誰でもいつか経験し得るという立場に立つと、そのことで人を責めたり罪を感じさせ、理解させようという感情より、いろんなことあったのに立ち直ってくれて良かった、生きててくれてよかったってこと以外あまり言うこことがなくなってしまうのでした。逃げ道は逃げ道でしかない。だから逃げた
そこから戻ってくることが一番大切だと思うの。逃げなきゃいけない状況があったこと自体、悲しいこと、ひどいことには変わりないんだけれどね。
家族の視点はもっと複雑。亡くなった義理の父のアルコール中毒は私自身目前にしてつらかった。それは私が体験した事実。でもね本人が一番つらそうだった。
私はお友達の刺青を誇りに思うけれど、そういうマークを服とか体につけないほうがよいのになと ひそかに思ってるんだ。人によってはそれを偏見に思ってしまうかもしれない。でも、もしかしたら、それはそのお友達の御守りみたいなものかもしれないといつもそこにキスしたくなるのでした。
当たり前の様だけど一応言っておくね。私はドラッグはしないし、興味もない。お酒の楽しみ方も若いときのように無茶もなく、年とともに落ち着いてきてけっこういい感じ。最近はもうそんな機会もないけれど、お友達に囲まれてにぎやかにお酒を飲むってのが今でもそれが一番の贅沢かなあ

I have a friend who used to do drugs. The friend explained that circle with triangle inside,the symbol means a recovery alcoholics,circle with square inside,symbol means a recovery from drugs
The friend with tattoo, circle with square inside ,is such comfortable person,always wearing friendly air. Things great about America is that there are movement, program that help people who need recovery are close by reaching out to them. And after recovered,people stay in the program to keep helping other people.
The friend is taken part of such activities,and often tells me about it.
For the people who need help and come to the program,the friend's story should give successful vision of recovery for those in the program who know how to listen. I am proud of the friend's effort and time spending effort helping others.
In Japan, to be able to consume alcohol certain amount is part of the deal as being mature,however,
in America, drinking alcohol itself is not so considered as good. Of course drinking alcohol  is legal,and drug is illegal. There sure is difference judging good and bad. judging behavior incomparably. But thinking about the possibility that drug could cause overdose to itself,(and nobody else),the possibility drunk driving causing harm to the others,I have hard time which is worse or better,having no word about what is what.
Sometimes,people could encounter the moments, having very hard time,unexpectedly so weak,so unrealized. When things get harder,sorrowful or painful way,I feel alcohol,and drugs could be sometimes means of “escape” As the escape,it is serving same purpose as relief. As they seems to me.
Thinking,imagining that anyone could encounter such a moment any time,at any point of life. I just cannot have intention of blaming the behavior,or,making the person feel guilty,or try to teach something or better understanding.
rather I feel grateful,good about the recovery. and proud the fact after having hard time,it was so good to making back to life,surviving hard time good, And I end up not much to say about.
I think escape is just the “escape”,therefore it is most important making return. The fact that there was a situation that required to escape is simply a sad thing,sad fact and that is just terrible.
From the point of view of family, it was more complicated. My father in law who passed away was alcoholics and observing his behavior was very hard to see. I experienced hard time first handed. But truth was he himself was in pain most.
I am proud of my friend's tattoo, but secretly think its better idea that not having or wearing such mark or symbol on body. Because depend on person, it create prejudice in personality. But I felt and rethought that it might be the friend's so effective amulet. that I just couldn't help kissing on it.


Sure thing(for my friends), but want to make statement that I don't do drug or am not interested in it. I consume alcohol,not like when I was young,and in moderation like I become mature adult as I am
Recently, I have almost no opportunity to do,but enjoying alcohol surrounded by my close friends having fun is most luxury thing to me