12/31/10

clairvoyance

 数年前私はあることで迷っていてずっと答えが見つからない日々が続いていたときがあった。
論理的に考えることと、気持ちで感じることに大きなギャップがあったのだ。それを埋めることがどうしてもできなかったし、どうするのが正しいことなのかどうしても理解できなかった。そのときは夫の親の援助や自分の家族からの精神的、経済的なサポートも多く、表面的にはとても恵まれていたのに不安と迷いばかりだけが募っていたのだった。
私が初めて英語で言うところのclairvoyanceに会いに行ったのはおそらく、そのころのことだったと思う。その頃は占いを見るような余裕も私の心にはなかった。春に家出をし、一か月ほど夫から離れてお友達の居間で過ごしていた。ただ正しいことをしたくて仕方がなかったゆえにとった行動だった。結局のところ、夫は私を迎えにきて、たった一度のやり直しのチャンスを与えることなくこの結婚を終えてしまってあとで後悔はないのかという彼は私に問うた。そして私は、彼の正しさを信じ’もう一度結婚生活にチャンスを与えることにしたのだった。
その決心をしてすぐ後、私は日本の家族のもとへ帰省し、clairvoyanceにその判断が間違っているのかいないのか相談をしたかったというのが初めてその人に会おうと思ったきっかけだった。
当時の私にとって、病気の回復を遂げた後、人生にそれ以上もう望むものはもう何もないような気がしていた。同時にそれ以上を望むのは欲張りのような気がして、あとどれだけ人生に対して私が望みを持つことを許されているのでしょうかと率直に 聞いた。その人の答えは私の人生はまだまだこれからで、何をやっても大丈夫でしょうとのことであった。しかし、結局夫とのやり直しはうまくいかず、2007年夏、私は夫から離れることを再び選び、別居をし、現在に至っている。

その後の日々は素敵な人々との出会い、最高とも思える経験、そして史上最大の難題で埋められていた。それは初めてアメリカで仕事を持った時から始まった。そのときにはそのうれしさと充足感から、初めてこの世にいるかもしれない神様に祈り感謝した。私をそこまで生き延びることを支えてくれたすべてに感謝して、もし自分が苦しんでる人に出会ったら、私はその人のためにどんな助けでもすると神様に感謝し祈っていたときもあった。
そしてその後、目の前に現れたのは最高の経験と一時的に訪れては消えた耐え難い痛みと迷いの連続だった。
私が直面し、経験したこの数年のすべてを、客観的に物語として語ったら、ひどく長編のドラマティックな映画になるのだろうと思う。第三者から見ればとても奇妙なこの数年の生き様であっても、この経験によって私は初めて生きていられることに心から感謝することが出来たし、心からこの世に生を受けたことを、この経験をさせてくれた両親に対して感謝することができたのだった。
私が語るその物語は自分が中心のラブストーリーで、少しのSifiの要素を含んでいる。しかもそこに登場する人物の一人ひとりにも序編と呼ぶにはひどく長い内容の濃いラブストーリーがあったことを私は知っている。私が知っているのは結末は登場人物の数だけ存在するということだけで、それ以上はよく知らない。私の物語の結末は私にもまだ見えてはいないがあのclaievoyanceには見えていたのだろうか。興味深い。

12/30/10

Bye year 2010! Happy new year 2011!!!  あけましておめでとう

2010 年という一年を通して私は本当にたくさんの人に助けられました。長い旅でした。
無事ここまでこれて感謝してます。
新しい年がすべての人にとって素晴らしいものとなりますように。そしてついでに世界平和!!
そしてと人の心の中にいっぱい愛と笑いがあふれますように。

以前にもポストしたことがあるエマソンの言葉を新年に向けてもう一度。。。
 promise to myself
To be so strong that nothing can disturb my peace of mind.
To talk health, happiness, and prosperity to every person I meet.
To make all my friends feel that there is something worthwhile in them.
To look at the sunny side of everything and make my optimism come true.
To think only the best
To work only for the best
And expect only the best
To be just enthusiastic about the success of others as I am about my own
To forget the mistakes of the past and press on to the greater achievement of the future
To wear a cheerful expression at all times and give a smile to every living creature I meet.
To give so much time to improving myself that I have no time to criticize others.
To be too large for worry, too noble for anger, too strong for fear,
And too happy to permit the presence of trouble.
To think well of myself and to proclaim this fact to the world,
Not in loud words but in great deeds
To live in the faith that the whole world is on my side,
So long as I am true to the best that is in me

-Emerson

私はここに約束する
強くあり、何ものにも心の平穏を乱されず
出会う人それぞれに健康と幸福、そして成功を語り
私の友人のすべてに何かすばらしい価値があると感じさせ
すべてのものごとの明るい側面を見て私の楽観主義を現実のものとし
最善、最高のことだけを思考し
その為だけに励み働き
その最高(の結果)だけを期待し
他者の成功に対して自分のことのように熱心であり
過去の過ちを忘れ、未来の更なる達成を進め
いつも陽気であり、私が出会う生けるものすべてのものに笑いかけ
自己の改善に時間を費やしすぎるがゆえ、他者を批判する時間もない
心配しないほど豪放であり,怒ることがないぐらい崇高であり、恐れをしらないほど強くある
そして幸せすぎるゆえに悩みがあることも由としない
自己に対し満足を感じ、その現状を世界にさらけ出す
大きな言葉や表現によってではなく行為功業によって
私が自己に内在する最高の部分に忠実であり続ける限りにおいて
この世界が自分の味方であることを信じて生きるということを
ここに約束する)
エマソン

12/29/10

Astrology

私は昔から星占いが大好きだ。水瓶座と魚座の境目に生まれた私は十代の頃初めて占い専門雑誌を買い読み始めるまで本当の星座を知らなかった。それまでは水瓶座と 魚座の両方の占いを読んで、そのとき書いてあった良さそうなことのほうを信じていたのだけれど、私の出生時間から割り出した詳細な判断からすると私は魚座ということになるのだった。魚座についてのどの記述を見ても、夢みがちで、現実感のない感傷的な人物、ということになる。私にとって占いというものは苦しいときに、探す、その苦境を乗り越えるための言葉のようなもので、心弾んで気持ちが高揚しているときはいつも占いから自然と遠ざかってしまう。私にとって占いというものは苦しいときに、あとどのくらいで苦境の時期がすぎるのだろうか、あとどれだけ痛みに耐えれば状況が変わっていくのだろうかという私にとってはヒントそのもの、または励みといった存在だ。
現実感、実用性に欠けるいう性分に加えて言えるのは、私が占いを気にする時期というのはそれだけで人生の転換期、気持ちが下向きになりやすい時期を意味しているということは今までの経験からすこしずつ分かってきた。
 それでも私は本格的に自分のホロスコープを作ってもらったり、解釈してもらったことは昨年の秋まで一度もなかった。
昨年の秋は私にとっていろいろな精神的変化があった時期で、そのとき仲良くしていた人物との別れを経験していたり、継続的に滑稽かつ、印象的な夢を見続けるなかで、期待と不安を日々かわるがわる経験していたような感じだった。何か理由があるのかと、ホロスコープを注文したのは昨年の10、11月頃だったと思う。
その頃から、今日にいたるまで、私はいろいろな本を読んだり、オンラインでサーチしたりして、様々なことを知るようになったのだけれど、占星術は本当に奥が深い!!
 それぞれの星座の支配星、それぞれの惑星についてもたくさん知るところとなった。でも細かいところはまだよく理解していない。
私のよく読む西洋占星術は太陽、月、土星、木星、水星、金星、火星、天王星、冥王星について解釈をする。惑星の位置関係の解釈は私にとってまだまだ複雑だけれど、太陽星座、と月星座の関係を輪を使ってみる人と人との相性には納得することが多すぎて、奇妙に思う。ちなみに私の太陽星座は魚座、月星座は山羊座。今離婚裁判中の夫は同じ魚座で、いて座に月を持つ。私のお友達には魚座が多いし月星座が魚座、水瓶座の人が周りによく存在する。類は本当に友を呼んでいるようです。

もうすぐ新年だから新年の占いがもうそろそろたくさん誌上に出てくる時期。
本当にいろいろあったこの一年。よく乗り越えてきたと思う。本当によくがんばったと自分で自分を褒めてあげたいぐらいだ。いろいろな人にも出逢ったし、見えるところでも見えないところでもたくさん助けてもらっていたと思う。ありがとう。人って本当に苦しいとき、混乱して迷うときには 「たかが占いされど占い」、で、 自分自身の状況改善に役立ちそうなアイディアを模索してしまうものだと思うの。そういうときにはどんな類のものであっても、本を読むのが一番いいのだろうけれど、
つらいときをアイディアで乗り越えるという手段としての占星術いかがでしょう?

 明日で水星の逆行も終わり。みんなに楽しいニュース、楽しい出来事が待っていますように
新年が平和ですべてのお友達にとって安全で実りの多いものでありますように。。。


12/27/10

What He said

レゲエを歌うBob Marleyの歌の原点はジャマイカじゃなくてアフリカだったんだね。今日そのことを聞いてから気になったのがこの曲。
Get up, stand uphttp://www.youtube.com/watch?v=UvK8E-RHZOk

Get up, stand up: stand up for your rights!
Get up, stand up: stand up for your rights!
Get up, stand up: stand up for your rights!
Get up, stand up: don't give up the fight!

Preacherman, don't tell me,
Heaven is under the earth.
I know you don't know
What life is really worth.
It's not all that glitters is gold;
'Alf(all for  the story has never been told:
So now you see the light, eh!
Stand up for your rights. Come on!

Get up, stand up: stand up for your rights!
Get up, stand up: don't give up the fight!
Get up, stand up: stand up for your rights!
Get up, stand up: don't give up the fight!

Most people think,
Great God will come from the skies,
Take away everything
And make everybody feel high.
But if you know what life is worth,
You will look for yours on earth:
And now you see the light,
You stand up for your rights. Jah!

Get up, stand up! (Jah, Jah!)
Stand up for your rights! (Oh-hoo!)
Get up, stand up! (Get up, stand up!)
Don't give up the fight! (Life is your right!)
Get up, stand up! (So we can't give up the fight!)
Stand up for your rights! (Lord, Lord!)
Get up, stand up! (Keep on struggling on!)
Don't give up the fight! (Yeah!)
We sick an' tired of-a your ism-skism game -
Dyin' 'n' goin' to heaven in-a Jesus' name, Lord.
We know when we understand:
Almighty God is a living man.
You can fool some people sometimes,
But you can't fool all the people all the time.
So now we see the light (What you gonna do?),
We gonna stand up for our rights! (Yeah, yeah, yeah!)

So you better:
Get up, stand up! (In the morning! Git it up!)
Stand up for your rights! (Stand up for our rights!)
Get up, stand up!
Don't give up the fight! (Don't give it up, don't give it up!)
Get up, stand up! (Get up, stand up!)
Stand up for your rights! (Get up, stand up!)
Get up, stand up! ( ... )
Don't give up the fight! (Get up, stand up!)
Get up, stand up! ( ... )
Stand up for your rights!
Get up, stand up!
Don't give up the fight! /fadeout/



起き上がれ、立ち上がれ自分の権利を主張(要求)しろ
起き上がれ、立ち上がれ自分の権利を主張しろ
(その為の)闘いを手放してはてはいけない


自分の権利を要求しろ
説教者(訓戒者)よ
天国がこの地球から没しているなどと教えないでくれ
 私はあなたがこの人生の本当の価値を知らないということを知っている
きらめくものすべてが金ではない(ように)
そのすべてはどこにも語られていない
それを知って今(初めて)光が見えるだろう
自分の権利を要求しろ
ほとんどの人はこう思う
偉大な神が空から現れて
すべてを取り去っていき
すべての人をハイにする
でももしあなたがこの人生がどんなに価値のあるものかを知っていれば
あなたの神というものをこの地球上に探す
そして今あなたにはその光を見る
ああなたの権利を主張しろ
起き上がれ、立ち上がれ
権利を主張しろ
起き上がれ立ち上がれ
その闘いをあきらめるな(人生はあなたの権利だ)
起き上がれ、立ち上がれ(その(為の)闘いをあきらめてはいけない)
その権利の為に立ち上がれ(ああ神様)
起き上がれたちあがれ(もがき続けていけ)
その闘いをあきらめてはいけない
みんなはいろいろな主義、疑心のゲームに飽き飽きで
死んでからジーザスの名のもとに天国へいけるというのだ、神よ
私たちは全能の神が生きた人であることを知っている。それを理解する時
あなたは一部の人を時にあざむくことができるかもしれない
でもすべての人を欺くことはできない
だから私たちは光を見る(さあどうする)
私たちは私たちの権利のために立ち上がる(そうだ、そうだ)
だからあなたも自分の権利のために立ち上がれ
起き上がれ、立ち上がれ(朝にはそうしよう)
自分の権利を主張しろ
起き上がれ、立ち上がれ
その闘いをあきらめてはいけない(あきらめるな、手放すな)
起き上がれたちあがれ

 Three little bird


http://www.youtube.com/watch?v=CY6A5arNCQQ
Don't worry about a thing, 'cause every little thing gonna be all right.
Singing': "Don't worry about a thing, 'cause every little thing gonna be all right!"

Rise up this morning'; smiled with the rising' sun.
Three little birds pitch by my doorstep
Singin' sweet songs of melodies pure and true; saying,
"This is my message to you-ou-ou.”

Singin': "Don't worry about a thing, ‘cause every little thing gonna be all right."
Sayin': "Don't worry about a thing, ‘cause every little thing gonna be all right!"

Rise up this morning'; smiled with the rising' sun.
Three little birds pitch by my doorstep
Singing' sweet songs of melodies pure and true; saying',
"This is my message to you-ou-ou."

Meaning': "Don't worry about a thing, worry about a thing,
oh! Every little thing gonna be all right.
Singing': "Don't worry about a thing" - I won't worry!
‘cause every little thing gonna be all right."

Meaning': "Don't worry about a thing, ‘cause every little thing
gonna be all right" - I won't worry!
"Don't worry about a thing, ‘cause every little thing ‘s gonna be all right."

(Baby) Don’t worry about a thing,
'cause every little thing gonna be all right.

12/26/10

Speakers

Speakers And Spirituality
SethSpeakers という者の存在についてこう述べている。
Speakerとはそのときそのとき人々が理解し得る限りの知恵や英知を伝え、教えてきた存在であり、一般にいうところの既存の宗教というアイディアが存在する以前から存在していた情報伝達者を意味する。多くの情報は生きていくうえで実用的な情報や秩序に重点が置かれてはいたがそれが存在していたことの理由そのもの、目的そのものは時間と共に忘れ去られてしまったという。
預言者、僧侶など、古代エジプト人などが手にすることができたそれらの情報は文明が生じるそれ以前に存在していたSpeakerの働きによるものであった。そのSpeakersの持つ情報は現在に至っている既存の宗教のの前触れとして存在しており、既存の宗教というものの出現と共に飛び火のごとくアフリカの中心、オーストラリア などに広まっていったという。
さまざまなそのスピーカーの群れは何世紀にも渡って起こり、その情報は伝えられていった。
彼らはその情報を正しく継承していく為に高度に訓練されていた存在であったが、彼らはその情報を言葉を使って書き記したり記録に残すということを間違った行為であると信じていた為に多くは口伝えの形をとっていた。
彼らは高度に訓練された存在で、地球上の明らかなシンボリズム、またその存在理由をも理解していた。
石器時代などに存在していたSpeakersは生き残る為の術を教えるその時代のリーダーでもあり、それらのメッセージ自体は最も純粋でゆがみのないものであった。そのメッセージは実は個人個人という存在の中に内在する現実という世界の本質についての情報なのであった。
個人という存在の中に隠されている秘密の情報そのものを示していたのだが何世紀にもおいてそれらは多くの者にたとえ話や物語として伝えられ、いろいろなかたちに訳され、伝えられていく過程をたどっていってしまったのだった。
元もとの、speakersの記録というものは現実というものの本質についてであり、内面の知識にある。彼らは内なるその秘密について語り、ある文明においては実質的にとても強い役割を果たした。Speakersという存在は多数存在しており、彼らは何度生まれ変わってもスピーカーという存在であり続け、Seth Speaks の著者Jane RobertsもそのSpeakersの一人であるとSethは述べている。

それらの内在する情報をそれぞれが理解することにすべてのspiritualityの真髄があり、神、All That Isというものを理解する手がかりがそこにあるといえる

basic instructions before leaving earth

今朝目覚めてベッドから出た時から私には書きたいことがあった。そして何気なくひとりのお友達をコーヒーに誘ったのだけれど、いつも忙しいそのお友達は今日は気持ちよく何の問題もなく応じてくれた。彼はこの夏からの私のメール友達の一人で、時々連絡を取ってはお散歩をしたりコーヒーを一緒に飲んだりしていた。今日に限って私はひとつのこだわりがって、彼が以前話してくれたエチオピアに昔存在した偉い人のお話をどうしてももう一度聞きたかったのだ。
彼がその説明を続ける間、私には色んな質問が頭にこみ上げてきて、彼はそれらの疑問に対してとてもうまくひとつひとつを説明してくれた。新約聖書を読んだことはあっても、旧約聖書は一度も読んだことのない私。彼はすべてをおぼえていないとはしつつも、私の知りたかったことすべてを教えてくれた。彼は私が数知る中でもとても純粋な何かが感じられる人の一人で、彼の心や記憶に残らなかったことは私が知らなくてもいいことなのだろうと私には理解できた。
聖書というものに興味をもったものの、いまだにそれは辞書を読むような感じで今の私には必要のなさそうなことであるということは変わりないらしい。でも、聖書というものがどういうものかさえ知らなかった私にとって、BibleというものはBasic Instruction Before Leaving Earthであると説明した彼の理解と説明は驚くべきことばかりだった。超尊敬。
これからは彼にいろいろな質問をしようと心に決めつつも、バベルの塔のお話、モーゼの十戒のお話、金の小牛の話、歴史に存在した時間的なギャップについて、キリストについて、イスラム教について、,いろいろなものの原点としてのアフリカ、いろんなparableをHIS STORY (history)であると言い放った彼の理解の凄さに驚嘆してしまった。聖書ってとってもとっても奥が深いんだ。
笑いながら聞いていた私は朝起きたときに書きたかったこと(日本語に訳してるだけ、だけれども)についての答えを与えられたようで満足とうれしい気持ちの中に、今年一年を通じて私が偶然出逢った人々との関わりと偶然そのものに大きな驚きと運命的な出会いを感じてしまった。

12/25/10

ことばというもの、自由というもの(words and freedom)

言葉というものは難しい。日本語と英語ふたつの言語を学んで使えるようになった今でも,言葉が十分でなかったり説明が不足していたのではないか、誤解を招いたのではないかと不安になるときがある。何も言わなければ何も起こらなくてもよかったかもしれないのにと後悔してしまう時がある。それでもすべての言動、行動の源は[したい]からであって、それはほかの誰とも変わらない。誰かにしたくないことを意に反してまで無理やりしてもらっても、私はうれしい中にも不正直さを感じてしまう。この世界にあふれているものは好ましいこと好ましくないことの対比で成り立っている。選択肢を自分の眼で見て感じて選ぶこと、それがエイブラハムの意図する生きるということであった。生きることの楽しみはいろいろな現実から心にひびくものを探り出すという経験そのもの、それが生きることの悦びの一部であるとした。
人は人を自分の好きなようにコントロールしようと、利用しようと思うとき、選択そのものを奪い取り勝手にすべてを決めてしまう。
選べるということは贅沢なことだけれど難しい。だから人はお金というものを得るため、いろいろなものを選ぶ自由を得るため働き、いろいろな経験をしていろいろな欲望を探すのだ。お金の量は自由の大きさでもある。安定を望む欲望の大きさでもある。
 それを選べないような状況を作ってしまう支配には2種類あるとニーチェは言う。ひとつは支配力に突き動かされた支配。そしてもうひとつは誰からも支配されたくない為に行う支配だ。
人は利己的にあることを教えよう、人を導こうとするときその支配をうまく利用する。
ニーチェのいう偽教師の教えとは世渡りに役立ちそうな教えであり、何をすれば自分の得になるか、損をしないかといった人づきあいについてであったり、人間関係についてだったりする。しかしそれらはすべて、価値判断であり、人物の見方、ものごとの本質の見方ではない。人生の本質からはほど遠いことを教える。偽の教師には気をつけなくてはならない。
自分に害を与えるものは悪であり、自分に利を運んでくれるものは善であるというように善悪を判断するのは、一般の善悪を判断するのは自分であるという前提をもつエゴイストであり、そういう野蛮な人は世の中に少なくないとニーチェはいう。
本当の財産、本当の贅沢、本当に人が望むものとはずっと自分で自由に選び続けていくことができるその選択そのもの、選択できる状況にあるのではないのだろうか。

12/24/10

プレゼント(present)

今日はもうクリスマスイブなのに毎年恒例のように行っていたお友達とのクリスマスショッピングにまだいけていない。お友達はいつものように忙しすぎたし、私は金銭的に憂鬱だったから。ここ数年私は自分で自分のクリスマスプレゼントを買っていた。ひとりのお買い物で偏ってしまいがちな趣味志向も、第三者の意見があるお買い物というのは楽しいことだった。
それでも最近衝動買いしたのは薬局で見つけたお気に入りのワイン。それを今年の自分へのクリスマスプレゼントにしようって、それでほかの物はなしにしようって思っていたら、お父さんからプレゼントが届くのだとメールがあって大感激。両親にはプレゼントも何も送っていない今年。ごめんねお父さん。お母さん。
でもプレゼントもらうのっていいよね。いつでも。
私が誕生日の日やクリスマスにあげたくなるのはカードだったり、その人をあたたかくするものだったり、甘いものが多い。ギフトカードなども実用的で無駄のないプレゼントとしてももらってうれしいものだけれど、いつもプレゼントに何をあげようかと思い巡らす時に私がいつも思い出すのは最初のボーイフレンドが私に最初のデートで帰り際にプレゼントしてくれたストール。
最初のデート日、二人でふと立ち寄ったデパートの売り場で私がとっても気にいって試しに鏡の前でまとったストールを彼はデートの真っ最中、トイレに行くと言い訳をして密かにそれを購入包装を手配して、その日のデートの別れ際に前触れもなく手渡してくれたのだった。
その彼とは別れてからもう長い時間がたつし、私も婚約、結婚したこともあって、何年も会うことはなかったし会えていない。もう連絡も途切れてしまったお友達であるけれど、幸せな思い出はそのまま まだ残っている。
私たちが別れた翌年、彼はテキサスに移り住んでいて、そこからカリフォルニアまで突然私をたずねて来たことが二度あった。そのとき、彼は遠い昔に私がプレゼントした上着からマフラーまで、大切にまだ身に着けてくれていて うれしく思ったのを思い出す。
最近の商品は何年も品質を維持するように製造されてはいない。それはそれで経済効果もあるし、いろいろなデザインを安価で試せたりして楽しいことでもあるけれど、何年も使えるような品質のいいもの、質のいいプレゼントはいろいろな思い出を長い間心に残してくれる。何度も幸せにしてくれる。そういうのってうれしいよね。ワインのようにそのときを楽しむのも幸せだけど。
プレゼントの気持ちってこういうこと?!
O  Henry の賢者の贈り物のお話でもそうじゃない?
そういえば昨日散歩中に路上でサンタを見つけたよ。車を運転していた!

12/22/10

Memory of Christmas

日本ではクリスマスは宗教色の少ない家族行事、子供を中心とした行事、または恋人同士が楽しむイベントのひとつだ。私の育ったところは冬には雪が降り、時には文字通りのホワイトクリスマスとなることがあっても大人になった最近では、クリスマスケーキは食べても、家の中にクリスマスツリーやクリスマスプレゼントなどあまり意識しないことのほうが多かった。

学生時代から私にはクリスマスカードを書く習慣があって、きれいなカードを年賀状と一緒にして選ぶのも楽しいことだった。大学ではキリスト教を教えていたから、お祭りごとの好きな私は友人らとこぞって雪の中キャロリングに廻ったりもした。本当にすごい音痴で歌のうまくない私がなぜあんなにはしゃいで参加できたのだろうかと時々不思議にも思うものの。あの頃はただ若かった。20才前後の大人になる直前だったように思う。学生同士集まってお酒やおでんを囲んだり、夜通しゲームをして大笑いして過ごしたり。友達とのパーティーは計画するのも参加するのも大好きだった。
残念なことに、結婚してアメリカに来てからのクリスマスはひとりで過ごさなくてはならない夜ばかりでクリスマスそのもの はけっこうさびしい行事に変わってしまった。
結婚していたときは夫がクリスマスの商業主義そのものに対する抗議だと、婚約していたときには行っていた家族間のプレゼント交換も結婚後は自然ととなくなっていき、それが当たり前になっていた。だから私は人に物をあげてもプレゼントとは呼べず、自分で自分にプレゼントを買うようになっていったのだった。
結婚して最初のクリスマス直前に倒れた私は12月の数日を病院の救急センター、そして家から離れた遠い病院で過ごしていた。そのときの病院の屋上に飾られていた電飾のクリスマスツリーが妙に悲しくて、今思い出してもつらさ、寂しさがよみがえるけれど、日本での病気治療の後、元気になってアメリカに戻った後の最初のクリスマスは妙に輝いていて、夫と結婚したこと、アメリカに戻ってこれたことが本当にうれしくて心から感謝したのを覚えている。
12月という月には本当にいろいろなできごとがあって、大人になってからはつらいことの方が多かった。この頃って私にとっていろいろな節目が重なる時期なのかもしれない。そのせいか毎年心のどこかで12月を警戒してしまう私がいる。
それでも、クリスマスの雰囲気は大好きだし、クリスマスケーキもクリスマスキャロルも雪も大好き。今私の住むところに、ホワイトクリスマスが来ることはありえないけれど、時に、雪がぱらつく少し内陸からの冷たい空気に雪の匂いが時々感じられる。そんな時私は
一人にんまりとしてしまう。雪の匂いは本当においしい。
クリスマスそのものの、目的、意義はともかく、少なくとも新年直前の家族行事。プレゼントがあってもなくてもみんなが笑いながらいい日が過ごせますように。

12/21/10

クリスマスカード(christmas card)

This year, I decided not to send out paper Christmas card out.For some people,please expect mail with attachments .  But this is  for all of my friends. All mails address to my husband's PO box will be returned to you as dead mail.   Sorry I cannot have access to the old PO box.  Please be sure to send to a newer one.
ことしは紙のクリスマスカード、年賀状の送付をしないことにしました。古い私書箱宛のメールは(私宛であっても離婚裁判中の夫の希望で送付者に差し戻されるようにアレンジされているようです。私の元にはとどきませんので新しいほうのアドレスに願います。ご注意を)添付ファイル付きの私からのメールをクリスマス前後確認してください。これはみんなへのクリスマスカード. Happy Holiday....





冬至 (Winter Solstice)

今日は冬至の日。日本では風邪をひかないようにってかぼちゃ食べたり菖蒲やゆずをお風呂に浮かべて入ったりするよね。私も早速昨日、かぼちゃを煮たものの、煮汁を煮含めるところで目を離してしまい、なべ底を焦がしてしまって残念な結果に。。。
日本の文化だものんね、後で英語のポストとも書こうっと。ところで昨晩の月食見た?いつも流星群とか天体には興味のある私。夜の11時ころひとり外にお散歩に出て見てきた。さむかったけれどね。冬の星座オリオン座がよく見えて、少しもやのかかった天気の為か、そうくっきりとお月さまは見えなかったものの、赤みがかかって変化して見えるのをひとりしみじみとみあげてしまった。
月食の日と冬至の日が重なるのって1700年代以降これが初めてなんだって。めずらしいことらしい。冬至は新しいスタートを意味するというし、新年も近いということで。。みんなに新しいたのしみがまっていますように。

 Today is Winter Solstice.  In Japan, we cook and eat pumpkin(a kind of squash) and have a citron bath with iris roots wishing for good heath, the season without sickness or cold.
Sure, I cooked my pumpkin yesterday.  But I  burnt at the end by careless mistake of mine, so disappointing...
By the way, Did you see the lunar eclipse?I always love to see eclipse or meteor showers,so  took a short walk by myself  last night and observed it.  There was a little clouds in the air,but saw beautiful Orion constellation and the moon,sky was not so clear,yet I saw the moon changed it color to reddish. It was cool. I read that having lunar eclipse and winter solstice on the same day is somewhat very rare.like since 1700s? Not sure what it meant, but winter solstice  signifies a new beginning? If so, I wish everyone something new,some good events in store as a new year approaching to us as all.

This is my pumpkin(remake version)これが私のかぼちゃ(再度トライバージョン)

12/19/10

Science of the secret?

?In Physics,atom is smallest particle which retains and never lose its characteristic of what it is. In that level,there is nucleus that contains a proton which characterized as positive energy. As a structure,there are electrons which are characterized as negative energy. There is always balance between nucleus and electrons keeping distance and energy level. Both of them exist by keeping its balance. And atom create molecule in nature.
In Seth's interpretation of parable regarding bible was close to structure of atom and molecule
Seth implied Jesus as nucleus,which is pure positive energy, ego,nature of what it is, and twelve disciples as personalities who were created by the the core self. They are attracted each other getting apart each other in the movement yet they coexist within. Jesus often said"come with me="follow your heart"
In Buddhism teaching,it state that nature of reality as emptiness,and enlightenment is the way to achieve life's goal. It implies that all kinds of suffering is created by people's mind and that is origin of agony. Without the creation of the agony, nature of reality is supposed to be wonderful and filled with beauty .Therefore it teaches to reach the enlightenment,get closer to the core nature of reality. Opening eyes , reaching to enlightenment is to focus and find true self,to realize wonderful nature of reality..And whenever it dies, it all reaches enlightenment.
These are two different expression of the nature of reality.
The people's thought, people's emotion are the cause and origins of each world's creation, each one's life. Thought creates reality.
Souls, its entity are part of the whole which is characterized as process itself of development and expansion. Each soul existed before it obtain its physical body as it keep creating reality in this physical world(reality)
In this physical world, Christianity teaches love,and the purpose of life as joy. In Buddhism,it teaches values of true self,mercy compassion that are related to fundamental nature of true self. To eliminate counterproductive thought,where no agony or resistance exist refers state of enlightenment that would lead to better life.
What interesting is that in Christianity, it describes resurrection,but no recognition of reincarnation.
In Buddhism,there is an  idea of reincarnation,yet it teaches all becomes enlightened being and emptiness.
Asking the purpose of life was most simple yet practical question.

Whichever religion a person believe,whichever the god it believe, one thing for sure is everybody dies. The death exist in this reality.


There may be people who argue the fact that there are belief and people who live to destroy or control others. However there are basis of belief that power and control are necessary to obtain peace and love. There are sure understanding of nature about love and peace. The focus about what they want seems to be just hidden in the shadow time to time by misunderstandings.
The expression of "Eyes to eye" is not the teaching of revenge(surely the interpretation is up to individual) but it is about phenomenon that "Attackers only attack themselves". Anyone who take action of attacking, the person is also making own experience that is equivalent to the attacking to himself. It is just one of the expression to describe how it is in reality. Such person would just keep hurting self until he realize the solution to stop.
Love and hate maybe one sword with two expression. It is possible to be used as a tool to bring death or enlightenment.
But For the people who is in chronic pains,in the tremendous suffering,it  mean salvation.
Despite the fact of such possibility,the life is great thing,and everyone knows he fact by nature. That is why people worry about righteousness, in attempt of trying figuring out what is right thing by suffering.
People afraid death,think of it as negative event is because it just know the value of life. The reason we feel grief for someone's death is because it banishes possibility of interaction in this physical world where we all know the great value of.
Both Love and hate sometimes cause unbearable pain to people. People suffer because of loving, because of the suffering, it causes hate. Loving is always great and only solution. Focus on loving and living. Should not be distracted by what it seems on the surface of situation or reality. All is well.
Whatever,however as it seems, one thing for sure is that what you see is not everything. And you are no such thing as god. Everything is just right. Nothing goes wrong.
No matter what religion you believe, physical body is destine to reach death someday. Before the death, saving your heart, focusing,liberate yourself for better experiences. That might be one of the interpretation of message.
Real fighting refers the process of searching for the answer, the way to bring happiness and joy toown life.
Achieving goal by power and control would just create bigger power and control, forced love and forced peace are just outlook without essence, victory for nothing.
Nature of reality could be understood at the state of fulfilled happiness. Every success is brought upon the decision made at such state. When being agony,should not make important decision,it would bring lesson,but it would not bring  success itself.
Things touches heart have no boundary between past,present and future. Or boundary between imagination or reality,or boundary life or death. Everyone of being is loved. Loving further, being loved furthermore hold it as a part of the self,part of eternal self.
To create memory and experience,and how develop them, and retain within is up to decision of individual.
When you reached death, and you read your life as a book of your life, it should be the book you would want to live once again.
Closing the book leaving many pages blank is too much to waste. It is book for yourself,for nobody else. It does not have to be right for anybody else but yourself.
Open your book and hold your pen as your heart desire,follow your heart,and Start writing, start living.
Reading many book, meeting many people,experience various things-hat would make your content of life richer and fulfilled.
That is real book of “secret”
wish to be a teacher to encourage such creation
religion's role maybe such encouragement itself
Of course,whatever you decide to believe is up to individual.
Diversity is a great thing.

個々の存在の核となる部分は原子のレベルにおいてポジティブ(+)であると認識されている。その回りには物理的構造としてネガティブ、マイナス(-の要素を持った電子が中心にある核の部分と常につりあうようにバランスを保ちながら、中心の核の部分を取り囲み,離れつつ近づきつつ、バランスをもって存在し続ける。
セスはたとえ話をもって聖書において伝えようと意図されその本質は中心に存在するキリストの存在、本当の自我、自我の本質、そしてその周りを取り囲む12人 の使徒の存在だった。もちろんキリストは純粋な善と愛のエネルギー、シンボル的存在であり、周囲に描かれた12人は彼によって創造され、その彼に引き寄せ られつつ、離れつつ、中心であるキリストを取り囲みながらそれぞれの生を生きる独立した存在として描いたのであった。come with me自分について来い=follow your heart自分の心に従え)のいみが見えてこないだろうか。
仏 教において無というものが本質であると意図されるのは、ひとりひとりの思い、こだわりが本当は存在しない苦しみを作り出している源であって、ものごとの本 質に近づけば近づくほどこの世というもののすばらしさがもっとみえてくるということ。生きている間に悟りをもつということはこの世の世界のすばらしさの本 質に眼をひらくことであるということだったのではなかろうか。死とはすべてが悟りを持つ事実ことであったともいえる。
その両方の宗教の根底に存在するのは現実というものの本質への説明である。人の思考、思い感情がそれぞれ個人の世界の現実というものを創造している。その思考を司どる無意識の存在(たましい)は命というものそのものはこの物質世界にそれが生じる以前から存在していて、絶えず発展と拡大を続ける「過程の存在」の一部なのだ。人の世において、この物質的な世界において、キリスト教では愛を教えた。人生の目的は生に悦びを見出すことであり、仏教ではありのままの自分、根本的な善、愛という己の本質に近づき、人が創造しがちな非建設的思考の排除、無に戻る(本質の存在に気づき悟ることこそに人生の目的が見出せると説いたのではないだろうか。共通しているのはこの世界のすばらしさを知り、満喫するということ。
興味深いのは、キリスト教では”復活”を描き、たましいといった精神レベルの継続が意図されているにもかかわらず、輪廻転生を教義として認識せず、仏教では輪廻転生を教え,悟りこそがよい人生への唯一の方法であるとした。
生きることの目的という視点は最もシンプルで実用的な疑問であるのかもしれない。
どの宗教、どの神という存在を信じようとも、ひとつ確信できることは人はいつか死を迎えるのだということ。どんな宗教を信じていようとも、肉体の存在に死というものが存在するということ。
愛 ではなく破壊、コントロールに生きようとする存在を議論したい者もいるのかもしれない、でもその根底には愛を得るために、平和を得るために権力やコント ロールが必要であると信じていることから生じているのであって、愛と平和の根本的欲求と理解がそこにある。本当に欲しいのは愛や平和であるいう欲求と主張 が表面から影に隠れてしまっているだけだ。
目には目を、歯には歯をとは決して復讐を教えたものではない。(もちろん、一人ひとりの解釈は異なっていいはずではあるけれども)Attackers only attack themselves. 攻撃しようと思う 者はその感情に相応の経験を己の経験としてこの世に作り出しているということの説明でしかない。それに気づくまで、解決策に気づくまで、そういう者は自分 を自己というものを傷つけ続けるということを教えている。
愛と憎しみは同じものの持つふたつの刃である。刃というものは命あるものを死するかもしれない、 しかし、死は辛い人生、痛みにもがきつつ生きることを強いられている者にとって、状況によって、死は救済でもあるともいえる。それでも生(命)の価値は偉 大であり、それをよく知っているがゆえに正しいことをしようと人は悩み苦しむのだ。死をおそれてしまうのは生命の貴重さを本当はによくわかっているから。 死を悲しいものと思うのは、この現実世界における人と人とのかかわりの機会のもつ意味、悦びをたましいのレベルでよく理解しているから。
愛も憎しみも時に耐えがたい痛みを引き起こす。時に人は愛するがゆえに苦しみ、苦しむがゆえに憎む。憎しみよりも愛に焦点を。目の前に見えているだけの状況に心とらわれてはいけない。All is well すべてはなるようになっている。あなたの目にどのように見え ても、あなたがすべてを知る神のような存在ではないことも確かなことである。すべてはうまくつじつまがあっているのだ。見ようとしても見えないからといっ てすべて判ったような気になってはいけない。どのような宗教を信じていようと肉体というものが死を迎えることは疑いない。その前に自己の心救済、自分の経 験の開拓に焦点を向けて初めてそれぞれの存在の解放が見えてくると教えたかったのではなかろうか。
本 当の闘いとは(闘いというものがなければらぬのなら)自分の幸せのために自分の世界の幸せを実現させる道をさぐり、悦びを見出すことである。権力やコントロールによるものごとの達成は更なる権力 やパワーをもつ存在をその世界に作り出すだけで、強制的な愛や平和という本質に欠けた勝利でしかなくなる。
物事の本質は人が幸せに感じるときに初めて見え る。すべての成功は幸せなときに導かれる意思決定にある。苦しいからといって無理な意思決定をすることに学びはあっても幸せな結果につながる意義は少な い。心で感じるということに過去も現実も未来も関係ない。想像も現実性も関係ない。生も死も関係なく、誰もが愛されている。さらに愛し、愛された者は愛が 自己の一部に永遠に残る。その存在の一部になる。すばらしい記憶や経験をどのように発展させ残すのか、それは一人ひとりの決断に任されている。死を迎え、 自身の人生を一冊の本を読むかのごとく振り返ったときに、もう一度繰り返したいと思えるような本であること、それこそが人生の目的かもしれない。すべての ページが空白のまま何もせず閉じてしまうのはあまりにももったいない。自分の為の自分が読む本であるのだから自分以外の者にとって正しい本である理由はひ とつもない。まずはページを開き、筆を持って心の赴くままに書き始めること、生き始めること、いろんな本を読むこと、いろんな人に出会うこと、いろんな経験をすることがその本の内容を豊かにする本当の秘密の要素、”秘密の本”という意味かもしれない。そのすばらしい本の創作を導いていけるような存在でありたいものだ。
宗教の持つ存在意義はその導きそのものにあるのかもしれない
もちろん誰が何をどのように信じようと、その決定は個人に任されている。

12/15/10

雨にもまけず

詩や小説、本は昔から大好き。中でも宮沢賢治の「雨にも負けず」は読むそのときそのときの状況によって印象の違うすばらしい(散文)詩。
日本の典型的な価値観、清貧をよく描いていると思うのだけれど、その清貧に対する思いは別として、この「雨にも負けず」は日々につらさを感じてるときには慰みになるし、日々に満足を感じてるときには幸せの源というものを垣間見てしまう。
ほかの人はどうなのだろう

雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしはなりたい

ー宮沢賢治 


 my version of English translation
Despite(without defeated by)  rain
Despite(without defeated by)  wind
Despite(without defeated by)  snow, Despite  cold air of the summer
Having healthy body
Having no greed
Never get offended
Always smile quietly
Four cups of brown rice a day
Some miso and some vegetable
For everything
Without counting own benefit
Listen well, understand well
And never to forget things
Being, in the pine tree field, in the shade,
Living in the small straw covered house
If there is sick child in the East,
would be there to take care of the child
If there is tired mother in the West,
Would be there and help shouldering the weight of  straws
If there is a dying man in the South,
Would be there to tell there is nothing to be scared
If there is a quarrel or lawsuit in the North,
Telling them to stop such trivial thing
having tears during drought
walking around uneasy during cold summer

Being considered useless
Never be praised
Never be considered trouble
 Such a thing
Is who I want to be

Kenji Miyazawa


 

12/13/10

Follow me

この曲について調べてみたら、2006年のことだったよう。
この曲が大好きで、近所のチェリーハイツカジノで彼の小さなコンサートがあったとき夫に連れて行ってもらったのをの覚えてる。以前よくラジオからながれていていつも楽しんで聞いてた曲。コンサートではDrift away という曲をとても素敵に彼が歌ったのもいまだによく覚えてるのだ。
そして驚くことになんとそのコンサートにはKID ROCKが一緒にそのコンサートに参加していたの。そのときはまだall summer longが世に出るのずっと前で、私は彼の曲さえ知らなかった。、彼は目立たないようにそこでタンバリン振っていただけなのに、そんな彼を目前に超素敵とはしゃいでいたのでした。
夫には本当にいろいろなコンサートに一緒に行った。初めて二人で行ったのはGrateful Deadだった。曲についてよくわからなかったけれどギターの音は凄くよかった。その次はビートルズのRingo star,そしてOzzy OsborneDavid Crosby.  夫の好みはともかく、Rock ってすばらしい。





Follow me_Uncle Kracker


You don't know how you met me
You don't know why, you cant turn around and say good-bye
All you know is when I'm with you I make you free
And swim through your veins like a fish in the sea
I'm singing....
Follow me
Everything is alright
I'll be the one to tuck you in at night
And if you want to leave
I can guarantee
You won't find nobody else like me

And I worry 'bout the ring you wear
Cause as long as no one knows
That nobody can care
Your fellin guilty
And I'm well aware
But you don't look ashamed
And baby I'm not scared
Im singin...

Follow me
Everything is alright
I'll be the one to tuck you in at night
And if you want to leave
I can guarantee
You won't find nobody else like me

Solo

Won't give you money
I can't give you the sky
It better off if you don't ask why
I'm not the reason that you go stranded
We'll be alright if you don't ask me to stay

Follow me
Everything is alright
I'll be the one to tuck you in at night
And if you want to leave
I can guarantee
You won't find nobody else like me

You don't know how you met me
You don't know why, you cant turn around and say good-bye
All you know is when im with you I make you free
And swim through your veins like a fish in the sea
I'm singing....

Follow me
Everything is alright
I'll be the one to tuck you in at night
And if you want to leave
I can guarantee
You won't find nobody else like me

Follow me
Everything is alright
I'll be the one to tuck you in at night
And if you want to leave
I can guarantee
You won't find nobody else like me

Follow me
Everything is alright
I'll be the one to tuck you in at night
And if you want to leave
I can guarantee
You won't find nobody else like me





彼のSmileも素敵。


You´re better then the best
I´m lucky just to linger in your light
Cooler then the flip side of my pillow that´s right
Completely unaware
Nothing can compare to where you send me
Lets me know that it´s ok
Yeah it´s ok
And the moments when my good times start to fade

You make me smile like the sun
Fall outta bed
Sing like a bird
Dizzy in my head
Spin like a record
Crazy on a Sunday night

You make me dance like a fool
Forget how to breathe
Shine like gold
Buzz like a bee
Just the thought of you can drive me wild
Oh, you make me smile

Even when you´re gone
Somehow you come along
Just like a flower poking through the sidewalk crack and just like that
You steal away the rain and just like that

You make me smile like the sun
Fall outta bed
Sing like a bird
Dizzy in my head
Spin like a record
Crazy on a Sunday night

You make me dance like a fool
Forget how to breathe
Shine like gold
buzz like a bee
Just the thought of you can drive me wild
Oh, you make me smile

Don´t know how I lived without you
'Cuz every time that I get around you
I see the best of me inside your eyes
You make me smile
You make me dance like a fool
Forget how to breathe
Shine like gold
Buzz like a bee
Just the thought of you can drive me wild

You make me smile like the sun
Fall outta bed
Sing like bird
Dizzy in my head
Spin like a record
Crazy on a Sunday night

You make me dance like a fool
Forget how to breathe
Shine like gold
Buzz like a bee
Just the thought of you can drive me wild
Oh, you make me smile
Oh, you make me smile
Oh, you make me smile

Drift Away

http://www.youtube.com/watch?v=q8itvQSruCE

Day after day I'm more confused
Yet I look for the light
Through the pourin' rain
You know that's a game that I hate to lose
And I'm feeling the strain
Ain't it a shame

Oh, give me the beat, boys, and free my soul
I want to get lost in your rock and roll
And drift away
[repeat]

Beginning to think that I'm wasting time
I don't understand the things I do
The world outside looks so unkind
Now I'm counting on you
To carry me through

Oh, give me the beat, boys, and free my soul
I want to get lost in your rock and roll
And drift away
[repeat]

And when my mind is free
You know a melody can move me
And when I'm feeling blue
The guitar's coming through to soothe me

Thanks for the joy that you're given me
I want you to know I believe in your song
Your rhythm and rhyme and harmony
You've helped me along
Making' me strong

Oh, give me the beat, boys, and free my soul
I want to get lost in your rock and roll
And drift away
[repeat]
Na, na, now won't ya
Won't ya take, oh ha ..take me










Davinci Code (movie)

ダビンチコードという映画を見た。以前に一度見ていたはずの映画、今回はまた違った発見があって興味深かった。
なぜか私は今年に入ってからシンボルというものに振り回されていたように思う。星占いひとつをとってみてもそれはシンボルの解釈にすぎないもので、私にはある意味楽しいものではあるけれど、複雑なことでもある。シンボルも宗教も見方によってはいろいろで、信仰心というものなくしてみても興味深い。
この映画の終わり方を見ても分かるように、さまざまな事象や現実といったものは人それぞれが信じること、信じるときめたことに意義があるのだと思う。それでも、私個人の宗教観とか宗教という組織そのものに対する個人的感情はあまり変わらない。そう結論付けた上で、この映画が論じていた、キリスト教の教会の権力の源というものを理解するうえでこの映画は興味深かった。
もしもキリストが肉体を持った人であったのならば、教会が継承してきたひとつの神、いかにもキリストそのものを神とあがめるような教会の機構や教え方に疑問がでてくる。
そこで、そのキリストの人間としての存在があったという証拠を隠すということの意味、隠されたことがダビンチの絵に隠された秘密、もしくは教会の権力を翻すような”秘密”であるというのがこの映画の大筋でのストーリーだとわたしは解釈した。もしかしたら私の知らないそれ以上の意味があったのかもしれないが、キリストが生身の体を持った存在であったということ、ある女性の存在がダビンチの最後の晩餐の絵のなかでシンボル的に描かれているということを興味深くこの映画は描いていた。見る人それぞれによって見方(受容の仕方)がちがってくる絵とはこ現実というものそのものの様であると私は感じてしまったから。そのことををこのように表現するとは、ダビンチの絵にしろ、この映画の描き方にしろ天才的だと思った。
この映画を見ている時に思い出した少し前に世界的ベストセラーとなったシークレット(秘密)という本がある。今まで隠されてきていたそのシークレット(秘密)の内容とは心や思考のちからというもの。個人個人の思考がものごと(現実)をつくりだしているのだということ、人という存在には肉体の部分と霊的な部分があり、その霊的な部分の新しい認識と正しい理解こそがその秘密そのものだったのだけれど、この本自体は夢を現実にするという実用的な側面に焦点を絞りすぎて実際のメッセージが薄れてしまった感があるが、物質的なもの以外の部分に目をむけた事において意義は大きかったようだ。それでも抑制されていた個人個人の持つ信仰心、教会や組織が持っていたパワーは宗教への信仰心というものから人の心を自由に解き放ち個人個人にその責任と能力を教えたという点で、やはりこの本も、宗教関係者が恐れるような”秘密”の本となるのかもしれない。宗教という存在に心地よさや安心を感じる人もいるわけで、宗教そのものの存在を否定的に問うつもりもないけれど、何故か誰もが知りたくなるような”秘密”という表現ををそれぞれ使うところが興味深いところ。

このふたつの作品が描いている”秘密”を組み合わせると、キリストは生身の人間でその霊的な部分において優れた存在であったのではないかと思う。
私の理解するキリスト像は誰もが一緒にいたいと思うような天真爛漫で魅力あふれるとっても人間らしい人で、人に対する凄い知識や理解をもちながら、人として、肉体を持った人の存在として飲み食べ笑う、感じるというようなことを最大限に行い人生を楽しんだ人だったのだろうと思う。あまりにも人生が楽しかったからそのことをほかの人にも教えたかったのだろうと思う。
それが何故あのような貼り付けの絵と自己犠牲のみが頻繁に語られるのだろうかと時々不思議にも思うけれど、きっと人生、どんなことがあっても、だまされても、つらいことがあっても(いいことにも悪いことにも)物事には終わりがあるということ、いつ何があってもいいように人生をそのときそのときを大事に生きましょうっていう命がけのメッセージだったのかもしれない。生の大切さは大事なものの死を経験して、もしくは失くして初めて理解できるということかもしれない。
この映画においても痛々しく描かれているように自己犠牲という側面にだけ目を向けてしまう人がいるというのはどこかでそのメッセージに対して後ろめたく思うような状況に気づきはじめているということかもしれない。人って心底に響くような偉業を目前にしたり感じたりする時自分も自然と何かしなくてはって思うものでしょ。あまり表現されることないけれど、そういう人間の心理ってすごいと思わない?。それを本当のinspirationっていうんだよねきっと。

そしてもし本当に、復活祭というような行事に見られるような”復活”というものがあったのならば、それはそれで、人には何度でもチャンスが与えられているというメッセージにすぎず、かみ様や奇跡、何でもそれを信じる信じないはいつもそれぞれ個人にまかされているということかもしれない。

12/12/10

Christmas Truck Parade

この町で、毎年恒例のトラック、クリスマスパレードが昨晩あった。毎年これを見るとああクリスマスだなあっていつも思わずにはいれない。今年も一人見に行ってきた。消防車をはじめとしていろいろな地域のビジネスの車両が電飾で飾られて町の中心をパレードするこの行事を私はもう何度見たことだろう。雨が直前までぱらぱらと降っていた昨年は何気にもの悲しい感じで雰囲気がとても切なかったのけれど、今年は天気もよくて、外にいてもそう寒くも感じなかった。なぜか沿道に出ている人の表情も和やかでリラックスしてて少し違った雰囲気。こういう地域の行事大好き。今年はハッピーホリデーの文字が少なくてメリークリスマスの文字があちこちに堂々と出ていた?ちょっとびっくり。楽しいクリスマス、楽しい幸せな時間ががみんなに来ますように。。。




12/11/10

Emotion(エイブラハム_感情というもの)

http://youtu.be/LpkrLqahToI



日本語意訳
我らはここに集えて喜ばしい。お互いの現実というものの共同作業という点でここに集っている皆はすばらしい。
あなたたちは自分が何ををほしいのか分かっていますか?
私たちにはあなたたちの願望と、その波長が見えます。波動としての願望のオファー(申し出)というたとえ話の意味を理解していますか?あなたたちはエネルギーの存在であり、それが肉体をもって今意識の焦点をこの現実に向けることでここにいるということ。このことについて理解できてきましたか?いろいろな状況からそれぞれの好み、願望を見つけることを波長のロケットと呼びたとえるならば、あなたの霊的な部分が継続的にそれに乗って飛び立っているようなものだとと言っているのです。
あなたの肉体があなたという存在の大部分をしめる霊的な部分と同調する時、
物質世界に生じているあなたという存在が何かを欲しいと願い、あなたは今ある状態から欲望によって発展した状態になるべくその波長が生まれます(願望のロケットを打ち上げるべくそして拡大する)その波長と肉体を持つ部分のあなたという存在の波長が混ざり、あなたという存在の非物質的(霊的なあなたという存在の大部分とすべてが同調するということがものごと(願望の)の現象化なのです。
この物質的な肉体の持つ波長があなたの存在の大部分である霊的な部分と同調しているかどうか、ものごとの実現のプロセスにおいて感情というものこそがあなたという存在が夢を現象化させるまでの距離を示す指針なのです。
私たちはあなたたちが抵抗なく願望を成就するよう導くためにいろんな質問に答えていますが、今ここでは何より、感情というものに対してもっと注意をはらってほしいのです。なぜなら感情というものこそあなたが欲しいもの(なりたいもの)とあなたが今ある現状の関わりを表す重要な指針だからなのです。
あなたたちがそれぞれの現実をつくりだしているのです。その上であなたが現実に対して感じている(自分の)感情そのものを認識理解できていますか?自己の思考の方向について自分でわかっていますか?
多くのものは欲しい事象を創造する過程をまだよくわかっていないようです。
そこでそのことを説明するために驚くべき感情の力という本を書きました。そこで伝えようとしたのは何度も言うようにあなたたちひとりひとりは(その本質の大部分は)実は物質を持たない(霊的な)存在で、物質的な側面に意識の焦点を向けることで現実というこの世界に肉体を持って現実(世界に)投影しているもの。そして物質世界において人生において好ましいもの、好ましくないものについて継続的に触れながら選び判断し、願望を、現実を創造し続ける。そのような願望が生まれる時、あなたという存在の肉体を持たない部分(霊的な部分)がその望みをかなえようと、あなたに応じるだけでなく、その願いそのもののになるのです(求めた願望と同調、同様の存在になるのです)
(思考が現実を作り出しているのであって、それに応じて生じる感情こそ夢を引き寄せる力なのです。)
ひきつけの法則はあなたの感情のあり方が変わることで物質世界のあり方も変わっていくという現象その説明そのものなのです。
ものごとに対して生じる勘定の流れというものに、、感情にそっていくと、それがどんなに重要かいうことがどういうことかということにもっと注意関心を持って欲しいのです。感情を無視してただ行動によって何かを達成するということはこの世にありふれた現実であるけれども、行動によって達せられることに満足の感情はどのくらいでしょう。感情にそって、ものごとに対する抵抗をなくすということで、物質世界のあり方が自然と満足のいく方向へかわってくる。感情というものがどんなにパワフルなものか、それをここで理解してほしのです。

エイブラハムの世界観(Abraham_world view

Don't worry about this world; it is not broken. And don't worry about others. You worry more about them than they do. There are people waging war; there are people on the battlefield who are more alive than they've ever been before. Don't try to protect people from life; just let them have their experience while you focus upon your own experience.

 この世界というものについて心配してはいけない。(この世界は)壊れていない。そして(自分以外の)他者を心配してはいけない。あなたは(他者があなたを心配する以上に)他者を心配し気にする。戦争を維持遂行する者がいる、戦場という場においてそれまでになく生き生きと活気に満ちる者もいる。人を人生というものから守ろうとしてはいけない。ただ自分で自分の経験(だけに)焦点を置きながら彼らにも(経験させるのだ。
(ーエイブラハムニューヨークでのセミナー#650からの抜粋)

You will notice that those who speak most of prosperity, have it. Those who speak most of health, have it. Those who speak most of sickness, have it. Those who speak most of poverty, have it. It is Law. It can be no other way... The way you feel is your point of attraction, and so, the Law of Attraction is most understood when you see yourself as a magnet getting more and more of the way you feel. When you feel lonely, you attract more loneliness. When you feel poor, you attract more poverty. When you feel sick, you attract more sickness. When you feel unhappy, you attract more unhappiness. When you feel healthy and vital and alive and prosperous—you attract more of all of those things.
 あなたは気づくであろう。成功や富について(多く頻繁に)語るものはそれを持っていて、健康について(多く頻繁に)語る者はまたそれを持っている。病気について(多く頻繁に)語る者はそれを持っている。貧しさについて(多く頻繁に)語る者はそれを持っている。
それが(現実というものの)法(メカニズム)である。そうでなくてはならなくなっているのだ。あなたがいかに「感じているか」それこそがものごとを(経験に)ひきよせているポイントなのだ。よって、ひきつけの法則はあなた自身をあなたの持つ感情と等しいものを延々と引き寄せ続ける磁石のような存在とたとえることで最も理解されやすい。あなたが寂しく感じるとき、貴方は(現実やその経験に)寂しさをもっと引きよせ、体調が悪く感じるとき、体の不調をもっとひきよせる。あなたが不幸に感じる時、もっと不幸を引きよせる。
あなたが健康を感じて、活き活きと成功感に満ちている時、貴方はそれらをもっとひきよせる存在となる

エイブラハムの教えーひきつけの法則の基本#649

12/10/10

Mercury retrograde (水星の逆行)

初めて惑星の逆行について学んだのは大学時代の近代科学史論の講義のなかでだった。
プトレマイオス系の天動説からコペルニクスの地動説という思想が生まれる過程に惑星の逆行という現象があったのではないかということについての講義を覚えている。その逆行に見える現象でさえ実は地球から見てそう見えるだけということなのだけれど、天動説では説明しがたいということだった。
それぞれの惑星の軌道を考えてみると、中心の太陽から遠くなればなるほどその惑星の軌道の輪は大きくなる。(ケプラーはさらにその軌道の輪が真円ではなく楕円だと導いたのだ)
地球は365日かけてその軌道を一周するけれど、それぞれの惑星はそれ以下の日数をかけて、もしくはそれ以上の日数をかけて、太陽の周りを一周する。それらを踏まえるとときどき惑星がいかにも逆方向に進んでいくようみえるということだった。
その講義はとても白くて、その講師には今でも感謝を感じるのだけれど、星占い見ていたら、今日から数週間、水星が逆方向に進むんだって。(もちろん目でそう見えるだけ)天文学的には特別なことでもなんでもないのだけれど、占星術的にはコミュニケーションや理解能力に影響が生じやすくなって、精密機器や機械そのものに不具合が現れやすい時期なんだって。そういえば私のPCひとつその頃にクラッシュしてる。
気をつけましょ。

地動説についてもっと思い出そうと調べていて、コペルニクスについてのWiki情報を読んでびっくり。正直なとこ、コペルニクスの地動説、ガリレオとケプラーの法則が頭の中でけっこう混乱していたの。物理の授業ははいろんなことを説明するべく、驚くべきことが多かったコースではあったけれど、私には虹がどのようなメカニズムで生じるかということより、ただきれいと眺めていたい方だったから性にあまり合わなかったみたい。
でも、天文学、占星術はいつも変わらず大好き。でも中世の頃には望遠鏡を所有し空を観察するというけれだけで錬金術師だって思われていたんだそう。そんな興味深いことも今日知ってしまった。ガリレオは当時、地球が動いてるって主張して宗教裁判にかけられたっていうし。きっとそのころ水星が世紀にわたって人の心の中で逆行しつづけていたのかもね。

12/9/10

View of the World (せかいという視点)

_Seth speaks

海の向こうの地平線を見るとき、または広大に広がる草原の地平線を見るとき、人間は科学的に可能な視力の限界を考えずに空と地面の境目のラインを限界として地平線として納得している。実際に人間の目で見ることのできる距離ははるかに短距離で永遠という規模からは程遠いものである。
歴史的には、世界が平面でそこに空があり、底があると信じていた時代の世界観が存在している。その二次元的構想に基づく世界は海の航行技術の発展と共に覆され、世界は球であると認識されていった。太陽が地球上にある世界を移動していると言う考え方から、地球が太陽の周りを一年をかけて移動しているという理論は宗教的にも論議をかもし出したためによく知られているところである
現実やその時代の常識というものがいかに拡大てしてきているかをここで垣間見ることができるであろう。
同様に科学の発展と共にそこには太陽を中心とする太陽系があり、その太陽系は銀河系の一部として存在していることが今日では教育的理論となっている。その銀河系はおそらく数多くある同じような種のうちのひとつであり、それらが存在する宇宙全体としての像は誰にも確かなものとして捕らえられていない。
私たちが生きている現実という世界は私たち一人ひとりが快適な思考を営めるように自己解釈のもと成り立っているとわかる。
私たちが何を思い創造し作り出すのか、宇宙的価値観においては無に等しいのである。しかし、その無の中においても私たちは確かに存在し、”現実”と呼ぶ世界を目で見て耳で聞き快楽や痛みさえをもを感じたりすることができる。その感覚は意識によってのみ存在を確認することができているかのように。
ひとつの国の住人として生きるのか、多国籍の人間として生きるのか、それとも一まとめに地球人として生きるのか、その生き方ひとつひとつの世界観は一人ひとりの意識による創造にまかされている。
私たちが日々呼ぶところの現実とは実は本当に大きなもの、大きすぎて想像がつかないものの「一部」であり、意識の及ぶ範囲でそれを受け止めて生きていることになる。
人間は死後、霊的な存在になると信じられている。霊能力を持つ者だけがその霊的存在と交信することができるというのも世界的に広く受け止められているアイディアである。
しかし、もしもこの世にいきる者すべてが霊的存在であり、感覚を知り楽しむための肉体を特権的に与えられている存在だとしたらどうであろう。すべての者が霊能力者であり、限らた意識の及ぶ世界において肉体をとおしての感覚、に意識を反映させている存在だとしたら?
何かに触れて見て聞いて楽しみ味わうなどの五感に生きるたのしみがあるというある種の真実を物語ってはいないだろうか。

Coconuts cream pie

私はストレスがたまってきたり、落ち込んでくるとほとんど食べるということ自体に興味をなくすか、極端に甘い食べ物を継続的にたべてしまう癖がある。昨日は 何をしようにもおかしな一日で、結局のところ、写真にあるようなパイをまるごと買ってきてひとりたのしんでしまった。私が買ってきたココナツクリームパイってこんなかんじ。早速、最近衝動買いしたカメラで撮ってみた。ココナッツフレークを含んだカスタードとホイップクリームのとってもあまーいパイ。もちろん半分は冷凍保存。日本のケーキはいつ、どれ買って食べても芸術的なおいしさだけれど、私は日本人が毛嫌いしがちなとことん甘いアメリカっぽいケーキとかパイも大好き。チョコレートやホイップクリーム、甘いものには全く目がないのでした。

12/8/10

 Death experience(死という経験)

死という経験について
P 116
What happens at the point of death?
The question is much more easily asked than answered. Basically there is not any particular point of death in those terms,even in the case of sudden accident. I will attempt to give you a practical answer to what you think of as this practical question,however. What the question really means to most people is this: What will happen when I am not alive in physical terms any longer?
死という場面では何が起こるのだろうか。
この問いは容易に問われるが答えられることの少ない問題提起である。最も忠実に簡潔に言えば、どんなに突然の不慮の事故によるものであっても、”死”という特別な瞬間は存在しない。だが、ここで本当に問われていることに、受け入れられやすい実用的な要素をもって説明したい。本当の質問はこのからだが肉体的存在として機能しなくなったとき何が起こるのかということであろう。

What will I feel? Will I still be myself? Will the emotions that propelled me in life continue to do so? Is there a heaven or a hell? Will I be greeted by gods or demons,enemies,or beloved ones? Most of all the question means: When I am dead,will I still be who I am now,and will I remember those who are dear to me now?

そのとき、何を感じるのか、自分であることを理解していられるのか、生への執着や感情は継続して残っていくのか。天国は存在するのか。地獄は存在するのか。神や悪魔、敵や愛する者たちに迎え入れられるのか。
しかし、これらの問いの根底で問われていることは、死を経験したとき、私は私という存在でありえるのか、私が愛した者たちを絶えず覚えているのか、ということではないだろうか。
I will answer the questions in those terms also,then; but before I do so,there are several seemingly impractical considerations concerning the nature of life and death,with which we must deal.

P117
First of all,let us consider the fact just mentioned. There is no separate,invisible,specific point of death. Life is state of becoming,and death is a part of process of becoming. You are alive now,a conscious knowing itself,sparkling with cognition amid a debris of dead and dying cells; alive while the atoms and molecules of your body die and are reborn. You are alive,therefore,in the midst of small deaths; portions of your own image crumble away moment by moment and are replaced,and you scarcely give the matter a thought. So you are to some extent now alive in the midst of the death of yourself- alive despite,and yet because of,the multitudinous deaths and rebirths that occur within your body in physical terms.

まず最初に結論として言えることは死という境地は存在しない。生と死を隔てる目に見えない境目は存在しない。
生”というものが 生じ続ける状態を示すものだとしたらあなたは生存していてそのことを知っている存在、体の死んでいく細胞に混在しながら輝く、生の存在。あなたは一つ一つの細胞が日々死を繰り返し、生まれ変わりを繰り返しているなかで生きる存在、言わば”死”というもののなかに存在し、瞬間的に入れ替えられて生きつつも滅んでいっている肉体に生きている存在。そしてそのことについてめったに思いをめぐらすこともない。
ある意味、あなたは”死”を生きているが、にもかかわらず、死によって生じる肉体に生きて存在している。

If the cells did not die and were not replenished,the physical image would not continue to exist,so now in the present,as you know it,your consciousness flickers about your ever-changing corporeal image.
In many ways you can compare your consciousness as you know it now to a firefly,for while it seems to you that your consciousness is continuous,this is not so. It also flickers off and on,though as we mentioned earlier,it is never completely extinguished. Its focus is not nearly as constant as you suppose,however. So though you do not realize it, you are often “dead” even amid the sparkling life of your own consciousness.
もしも、ひとつひとつの細胞が死んだり、入れ替わったり、生まれ変わったりすることがなかったら物質的かつその肉体の)からだのイメージと言うものは存在しないということになる。よって、今現在という枠組みにおいて自意識というものがちらちらと明滅しているというのがふさわしい表現といえる。
さまざまな見方であなたたちの自意識は表現できる。ホタルのひかりをみてもわかるように、明滅を続けるにもかかわらずそれは決して消えてしまうことがない。”生”として継続的に光を発し続けているように見えて、なお、死はその(自意識の)合間にうもれているのである。
I am using your own terms here. By “dead”,therefore,I mean completely unfocused in physical reality. Now your consciousness, quite simply,is not physically alive,physically oriented, for exactly the same amount of time as it is physically alive and oriented.
私はここであなたたち人間の典型的な”死”の意味を、現実世界における肉体の死ということを念頭において言っている、自意識というものは物質的存在として生きている。自意識というものは端的な見地において生きていて、それが関連しているから生きているといえるのだ。
There are pulsations of consciousness,though again you may not be aware of them.
気付かれることはめったにないが、自意識そのものとは波打つ、もしくは脈打つものである。
Consider this analogy. For one instant your consciousness is “alive” focused in physical reality. Now for the next instant it is focused somewhere else entirely,in a different system of reality. It is un alive,or “dead” to your way of thinking. The next instant it is “alive” again,focused in your reality but you are not aware of the intervening instant of un aliveness. Your sense of continuity therefore is built up entirely on other pulsation of consciousness. (“instant” here is just an analogy,not mean literally)
この表現を、考慮してみよ、あなた自身の自意識は現実の物質的からだに焦点を向け生きている。その焦点というものは生きているか死んでいるかといった個々の考え方によって変わってくる。
次の瞬間、生きていないことから関心ををそむけ現実に焦点を当て生きてみたり、その関心を逆に向けて見たりする。個々の向ける関心、焦点の継続性から生じる感覚そのものが意識の脈、自意識の脈、肉体の脈をうみだしている。

P118
in the same way,atoms and molecules exist so that they are “dead” or inactive” within your system,then alive or active or active,but you cannot perceive the instant in which they do not exist. Since your bodies and your entire physical universe are composed of atoms and molecules,then I am telling you that the entire structure exists in the same manner. It flickers off and on, in other words,and in a certain rhythm,as say, the rhythm of breath.
原子や分子も同じようなありようで存在している。原子や分子はあなたというシステムの中で、生きていたり死んでいたりそれか生きていてもそれが存在していることを認識できなかったら?”
There are overall rhythms,and within them an infinity of individual variations- almost like cosmic metabolism. In these terms, what you call death is simply the insertion of longer duration of that pulsation of which you are not aware, a long pause in that other dimension,so to speak.
全体のリズムというものは存在している。永遠に個々の異質性を保ちながら。それはほぼ宇宙の代謝であるといえる。その意味において、人々のいう死というものは単に認識が及んでいない、異次元の”期間”ともいえる。

P118
The death,say of physical tissue,is merely a part of the process of life as you know it in your system,a part of the process of becoming. And you from those tissues,as you know,new life will spring.
Consciousness -human consciousness- is not dependent upon the tissues,and yet there is no physical matter that is not brought into being by some portion of consciousness. For example,when your individual consciousness has left the body in a way that I will shortly explain, then the simple consciousnesses of atoms and molecules remain,and are not annihilated.
肉体というからだ、死は、あなたが知っている己のシステムにおける生という過程の一部にすぎず、生じ、変化していく過程の一部なのである。そして、その肉体はまた新たな生命をうみだしていく。人間の意識というものは物質的”からだ”の存在によるものではないのだ。にもかかわらず、意識の一部によってその物質的事象は形作られていく。
P118

all through your lifetime,portions of that body die,and the body that you have now does not contain one particle of physical matter that “it “ had, say ten years ago. Your body that you had ten years ago, my dear readers is dead. Yet obviously you do not feel that you are dead,and you are quite able to read this book with the eyes that are composed of completely new matter. The pupil, the “identical” pupil that you have now,did not exist ten years ago. And yet there seems to be no great gap in your vision.
人生において、からだの一部は死に続ける、そして10年前にその死んでしまっているからだの部分をふくまないそれは存在し続ける、10年前に存在していたあなたという存在が死んだということである。にもかかわらずあなたは、その死にも関わらずここに存在し、まったく新しくなったからだ、目によってこれを読んでいる。その見え方にはありえそうなギャップというものがないであろう。

P119
The pulses mentioned earlier are so short in duration that your consciousness skips over them merrily,yet your physical perception can not seem to bridge the gap when the longer rhythm of pulsation occurs. And so this is what you perceive as death. What you want to know,therefore is what happens when your consciousness is directed away from physical reality,and when momentarily it seems to have no image to wear.
先に述べた自意識の波、脈といったもののサイクルはとても短く、意識のギャップというもの自体を楽に跳ねてしまうしかし、肉体に基ずく感覚ではその意識の波に生じるギャップをたやすくとび超えることはできない。ここで”死”という状況が知覚される。あなたが知りたがっていたことの答えはここにあり、意識というものが肉体から引き上げ一時的に何もまとうことのない状況になったことである。


The fear of death itself can cause such a psychological panic that out of sense of self preservation and defense you lower your consciousness to that you are in state of coma,and you may take some time to recover.
死を恐れるという行為は自己保守という点において心理的に大きなパニックを起こしえる。昏睡の状態はその自己保守の意識を引き下げてしまった状態という意味である程度の時間を回復にかけるであろう。
A belief in hell fires can cause you to hallucinate Hades” conditions. A belief in a stereotyped heaven can result in a hallucination of heavenly conditions. You always form your own reality according to your ideas and expectations.
地獄の火を信じる者は冥界という幻覚を生じさせやすい。天国の典型的風景を信じる者はすばらしい天国の幻覚を生じさせやすい。すべては個人の考え方、期待によってものごとが生じるように見えていく。
P121
For those of you who are lazy I can offer no hope: Death will not bring you an eternal resting place. You may rest if this is your wish,for a while. Not only must you use your abilities after death,however,but you must face up to yourself for those that you did not use during your previous existence.いかなる状況であれ、怠惰に生きる者に(死による)希望はもたらせられない。死とは、死というものはあらかじめ用意された休息の境地ではないのである。休息が願いであるならば一時的ではるがそれを得るかもしれない。それでもあなたは死後に得た可能性、能力といったものを使わなくてはならないだけでなく生存中になげだしたもの、関わったものにいずれは直面、対峙しなければならないであろう。

Those of you who had faith in life after death will find it much easier to custom yourself to the new conditions.
人生に”生”を信じ生きる者は、死後の慣習そのものに自己をなじませやすい。
P121
If consciousness vacated the body for the same amount of time from a normally physically awake state,it would consider itself dead,for it could not rationalize the gap of dimension and experience.
Therefore in the sleep state,each of you have undergone-to some degree- the same kind of absence of consciousness from physical reality that you experience during death.
In these cases, you return to the body,but you have passed over the threshold into these other existences many many times,so it will not be as unfamiliar to you as you may now suppose. Dream recall experiment and other mental disciplines to be mentioned later will make these points quite clear to all of you who embark upon the suggested exercises.

意識というものが、起きている状態においてある程度の時間、からだを抜け出していたら。、経験と次元に生じる経験のギャップを合理的に見る上で”死”というものが 考えられる。
よって、眠っているときに意識がこの現実から抜け出していたとしたら、誰もが死と同じような経験をある意味経験してきているといえる。このようなケースでは、その意識は体に戻ってくるのであるが、


You may or may not be greeted by friends or relatives immediately following death. This is a personal matter,as always. Overall, you may be far more interested in people that you have known in past lives than those close to you in the present one,for example.
Your true feeling toward relatives who are also dead will be known to you and to them. There is no hypocrisy. You do not pretend to love a parent who did little to earn your respect or love. Telepathy operates without distortion in this after-death period,so you must deal with the true relationships that exist between yourself and relatives and friends await you.
何事もそうであるように個人的な要素が大きいが、死という状況で、すでに亡くなっている家族に迎えられるかもしれないし、それがありえないかもしれない。すでに現世で知りえた人々よりも遠い昔に出会っていた人により大きな関心をしめすこともありえる。
あなたの抱く家族に対する本当の感情が相手に伝わるので、見せ掛けやとりつくろった感情でごまかすことはできない。愛や尊敬を培うことのできなかった親に対してその親を愛していたという”ふり”はできない。死という状況では思っていることがそのままありのまま伝わる。それゆえに、その人間関係というものに直接関与しなければならない家族や友人との状況が与えられるであろう。
P123
The surroundings in form experience quite as real as any mortal life. Now,I have told you that thoughts and emotions form physical reality,and they form after death experience. This does not mean that the experiences are not valid,any more than it means that physical life is not valid.
生きる環境が人生の致命的経験を作り出している。今まで何度も述べてきたように、頭の中の考え、思考行動とそれにもとずく感情が目の前のこの現実を作り出している。そしてそのメカニズムは死という経験についても同じことが言える。それはその経験というものが有効的だという意味でもその肉体をもつ人生に非有効性がないという意味でもない。


Certain images have been used to symbolize such a transition from one existence to another,and many of these are extremely evaluable in that they provide a framework with understandable references. The crossing of the River Styx is such a one. The dying expected certain procedure to occur in a more or less orderly fashion. The maps were known beforehand. At death,the consciousness hallucinated the river vividly. Relatives and friends already dead entered into the ritual,which was a profound ceremony also on their parts. The river was as real any that you know,as treacherous to a traveler alone without proper knowledge. Guides were always at the river to help such travelers across.
It does not do to say that such a river is illusion. The symbol is reality you see. The way was planned. Now,that particular map is no longer believed in a heaven and a hell,a purgatory,and reckoning; and so,at death,to those who to believe in these symbols,another ceremony is enacted,and the guides take on the guises of those beloved figure of Christian saint and heroes.
いろいろなシンボルが”生から死への”移行をイメージするのに使われてきている。多くのそのイメージは理解しやすい枠組みを与えているという点で重要な意味を持ってきた。
三途の川を越える”というイメージはまさにその典型である。
死によって生じる状況はきまっていてもその流れはさまざまで、ひとつの決まった流れというものはない。死という状況において意識のおこす幻覚はあざやかである。すでに亡くなっている家族や友人が現れるのも、その流れのなかで重要な意味があるからである。
川というイメージそのものはすでに知識として知りえていることで旅行者にとってはある意味、障壁なのである。それでも、必ずガイドなる役割をする者が必ずいて、その旅行者の手助けをしてくれる。
何度も言うまでもないが、その川自体も幻覚である。その幻覚を現実として見ることになる
そのプロセスにおいて、天国’や地獄、煉獄の地や清算と言うアイディアは存在しない。個々の信じること、信じる像に基ずいていてその儀式らしきことがおこなわれるのである。
P125
I myself acted as such a guide; as in a sleep state Rubert now follows the same road. The situation is rather tricky from the guide's viewpoint,for psychologically utmost discretion must be used. One man's Moses,as I discovered,may not be another man's Moses. I have served as a rather credible Moses on several occasions- and once,though this is hard to believe,to an Arab.
“Arab”
私自信もそうようなガイドの役割をしたことがある。ルバート(この本の著者)は睡眠時、おなじような役割ををたど利行ってっているのだろう。あらゆる状況というものはガイドの立場から見るととても扱いにくいことであり、精神的、心理的に最も慎重であることが求められる。
私が見つけたモーゼという存在とほかの者が見つけたモーゼが同じとは限らないのである。よって私はいくつかの状況において、私は(その状況において)(その本人が信じ得るモーゼとしての手助け行ったのだが、ある一人のアラブについては信じられないようなことがあった。
the Arabs was very interesting character,by the way,and to illustrate some of the difficulties involved, I will tell you about him.
He hated Jews,but somehow he was obsessed with idea that Moses was more powerful than Allah,and for years this was the secret sin upon his consciences. He spent some time in Constantinople at the time of the Crusades. He was captured,and ended up with a group of Turks,all to be executed by Christians, in this case very horribly so. They force his mouth open and stuffed it with burning coals, as a starter. He cried to Allah,and then in greater desperation to Moses, and as his consciousness left his body,Moses was there.
そのアラブはとても興味深い人物であった。いろいろな困難、障壁をここで説明するために彼についてここで語ろう。
彼はユダヤ人を憎んでいた,しかし何故か彼はモーゼがアラーよりもパワフルであると信じていて、それが彼の意識的に隠していた罪悪感であったのだ。彼はコンスタンチノープルでの聖戦の時を過ごしていたが彼は捕らえられトルコ人のあるグループと一緒にされ、ひどいことにキリスト教徒によって処刑された。彼らは彼の口に燃えている石炭を手始めに詰めた。彼はアラーに助けを求めたがその死に物狂いの果て、次いでモーゼに助けを求めた。そして彼の意識は肉体を離れたのだが、そこにはモーゼがいたのである。

He believed in Moses more than he did Allah,and I did not know until the last moment which form I was to assume. He was a very likable chap,and under the circumstances I did not mind when he seemed to expect a battle for his soul. Moses and Allah were to fight for him. He could not rid himself of the idea of force,though he had died by force,and nothing could persuade him to accept any kind of peace or contentment,or any rest, until some kind of battle was wrought.

彼はアラーよりもモーゼをより信じていた。私の推測が最後の最後に正しくなかったことを知った。彼はとても感じのいい男でその状況において、彼が彼のたましい自身に葛藤があることに気付きもしなかった。彼は(暴力による)力、その強さから自身を免れさせることができず、その力によって身を滅ぼしていた。そして平和や満足感といった安らぎを彼に納得させることはその葛藤なしにはありえなかったのだ。
A friend and I, with some others staged the ceremony,and from opposite clouds in the sky Allah and I shouted out our claim upon his soul- while he,poor man,cowered on the ground between us. Now while I tell this story humorously,you must understand that the the man's belief brought it about,and so to set him free,we worked it through.
私の友人と私、そしてほかの者と共に、儀式を催していたのだが、まったく反対の空の雲間からアラーと私が彼のたましいを求むべく叫んだのだが、かわいそうなその男は私たちの間で恐怖にすくんでしまった.ここではユーモアを交えて伝えようとしてはいるが、ここで理解しなくてはならないいのはその男の信仰がもたらしたもの、彼を解放したもの、彼がここで乗り越えたことである。
I called upon Jehovah, but no avail,because our Arab did not know of Jehovah-only of Moses- and it was in Moses he put his faith.

私はエホバをも呼んだが、現われはしなかった。何故ならそのアラブはエホバを知らず、モーゼだけを知っていて、そのモーゼこそが彼の信仰であったからである。
Allah drew a cosmic sward and I set it afire so that he dropped it. It fell to the ground and set the land aflame. Our Arab cried out again. He saw leagues of followers behind Allah,and so leagues of followers appeared behind me. Our friend was convinced that one of the three of us must be destroyed,and he feared mightily that he would be the victim.
アラーは広大な剣をふるい、私はそれに彼が手放し落とすように火を放ち,剣は地面に落ち、その地を燃やした。ゆえにそのアラブはまた泣き出してしまった。彼はアラーの後ろに控える盟約者を見、私の後ろに私の仲間を見た。私たちの仲間は我々の三者のうちの一人が滅しなければならな
いと確信を抱き、彼はその被害者になるだろうことをひどく恐れた。
P126
Finally the opposing clouds in which we appeared came closer. In my hands I held a tablet that said: Thou shalt not kill” Allah held a sward. As we came closer we exchanged these items,and our followers merged. We came together,forming the image of S-U-N and we said “we are one”
The two diametrically opposed idea had no merge or the man would have had no peace, and only when these opposites were united could we begin to explain his situation.
ついに、我らと反対の側の雲から現れた者が近寄りあった。私は”殺してはいけない”と記された書字版を手に抱えていた。アラーは刀を抱えていた。私たちは互いに近づき書字版と刀を交換した。そして我々の支持者もまとまり、ひとつとなった。互いに我々は歩み寄ることによってSUN,太陽のイメージを作り出し、互いに”我らはひとつ”といった。その両者はまったくの正反対で統合のアイディア、平和などありえない、と互いに強く反対していた。、しかしこうでもなければ、その男に平穏はありえなかった、ゆえに、その対極同士を統合させることによって初めて彼に状況を説明しはじめることができたのであった。

Fire flies

この歌も私のお気に入り。エイブラハムの存在についてを誰かが詳しい説明を求めたとき、ある人は無数のエンジェルの集まりとしてその存在を描いたが、、エスターの経験では無数の蛍のようにやさしく輝くエネルギーの集団として見えたっていう表現をいつも思い出すからだと思う。いかがでしょう。聞いてみて









You would not believe your eyes
If ten million fireflies
Lit up the world as I fell asleep
'Cause they fill the open air,
And leave teardrops everywhere
You'd think me rude, but I would just stand and... stare

I'd like to make myself believe
That planet Earth turns slowly
It's hard to say that I'd rather stay awake when I'm asleep
'Cause everything is never as it seems

'Cause I get a thousand hugs
From ten thousand lightning bugs
As they try to teach me how to dance
A foxtrot above my head,
A sock hop beneath my bed,
A disco ball is just hanging by a thread (thread, thread)

I'd like to make myself believe
That planet Earth turns slowly
It's hard to say that I'd rather stay awake when I'm asleep
'Cause everything is never as it seems (when I fall asleep)

Leave my door open just a crack
(Please take me away from here)



'Cause I feel like such an insomniac
(Please take me away from here)
Why do I tire of counting sheep?
(Please take me away from here)
When I'm far too tired to fall asleep

To ten million fireflies
I'm weird 'cause I hate good-byes
I got misty eyes as they said farewell (they said farewell)
But I'll know where several are
If my dreams get real bizarre
'Cause I saved a few and I keep them in a jar(jar, jar, jar)

I'd like to make myself believe
That planet Earth turns slowly
It's hard to say that I'd rather stay awake when I'm asleep
'Cause everything is never as it seems (when I fall asleep)

I'd like to make myself believe
That planet Earth turns slowly
It's hard to say that I'd rather stay awake when I'm asleep
'Cause everything is never as it seems (when I fall asleep)

I'd like to make myself believe
That planet Earth turns slowly
It's hard to say that I'd rather stay awake when I'm asleep
Because my dreams are bursting at the seams

12/7/10

Daily quote_criminal

私はエイブラハムの日々の引用といった、彼らのメッセージの要点が毎日送られてくるシステムに登録している。今日の一言はこれ。
It is your rules that make unlawful beings. You would get along better if you would just trust each other to treat each other appropriately, but you don't. So you keep making laws -- until you make criminals of everyone.
--- Abraham
Excerpted from the workshop in Chicago, IL on Sunday, April 25th, 1999 #646
Our Love,
Jerry and Esther
あなたの(住む世界による)ルールや法というものの存在が犯罪者という存在を作るのであって、お互いを信じあい、お互いを適切に扱いあえば、ただうまくいくのにそうしない。 だからすべての者が犯罪者、違法者となるまでそういったルールや法律をり続ける(よって犯罪、犯罪者というものが増えていく)。ーエイブラハム
11999年4月25日シカゴでのセミナーからの抜粋
http://www.abraham-hicks.com/lawofattractionsource/index.php

12/5/10

善と悪についてGood and Evil_Seth speaks

Good and evil

Seth Speaks-P237
To progress is supposedly to ascend,while horror of religious punishment,hell is seen at the bottom of all things. Development is therefore considered in a one-line direction only,in Christian terms. Seldom,it is thought of in horizontal terms. The idea of evolution in its popular meaning promulgated this theory,as through gradual progression in a one-line direction,man emerged from the ape.Christ could just as well have disappeared sideways.
進歩や発達はいまあるところから上へ上ろうとする、登りつめることのように捉えられ宗教的な罰や地獄といったものは今あるところの下方、底にあるもの思われている。
キリスト教的に考えれば、発展、発達という事象は上か下かの”タテ” のものさしのみで、横に広がるというアイディア、はめったに考えられない。よく普及している理論のひとつ、キリストの昇天であっても、猿人が横に発達し人間になり進化して消えていったように横に消えていったのかもしれないのだ。
The inner reality of the message was told in terms that man at the time could understand,in line with his root assumption. Development unfolds in all directions. The soul is not ascending a series of stairs,each one representing a new and higher point of development.
内に秘めた真のメッセージはそのときそのときにおいてその時代の人々が理解できるように伝えられるもので、タテの考え方は一時的な説明がその根拠や推定として残ってしまったということにすぎない。
ここでいう発展や進展というものは実は方向という方向すべてに向けて広がりを持って開くものである。たましいというものは一つ一つが高貴なステップの階段を上るかのように上に向けて上っていくものではないのだ。
Seth Speaks-P238
Instead,the soul stands at the center of itself,exploring,extending its capacities in all directions at once,involved in issues of creativity,each one highly legitimate. The probable system of reality opens up the nature of the soul to you. The religion's idea considerably. For this reason,the nature of good and evil is a highly important point.  On the one hand,quite simply and in a way that you cannot presently understand,evil does not exist. However,you are obviously confronted with what seem to be quite evil effects. Now it has been said often that there is god,so there must be a devil-or if there is good,there must be evil. Or if there is good,there must be evil. This is like saying that because an apple has a top,it must have a bottom- but without any understanding of the fact that both are portion of the apple.
たましいというものは自己の一番中心にあるものであり、その最大限の許容力を持ってすべてのありとあらゆる方向に延び拡大しようとする存在である。ひとつひとつのそのたましいの創造力はそれぞれにとても高い合理性をもっている。
仮想世界における現実というアイディアはそのたましいの有り様をみせしめるものである。
その上で、宗教のアイディアというものは善と悪の本質を知るうえでことはとても重要なことである。重要であるが実に簡潔、しかし理解しがたいその結論は悪は存在しないということである。
しかしながら、人間はその悪の影響に明らかにうけているかのようである。いい伝わってきたようにここに神がいるのならば、もちろん(その逆の存在として)悪魔がいる(はず)もしくは善があれば、悪があるといったことが言われていた。これはその部分部分の両方がりんごそのものの部分であるという理解なし(りんごというものの本質の理解なしに)にりんごの上部があるとすれば下部があるはずという論理にすぎない。
Seth Speaks-P238
We go back to our fundamentals: You create reality through your feelings, thoughts and mental actions. Some of these are physically materialized,others are actualized in probable systems. You are presented with an endless series of choices,it seems at any point,some more or less favorable than the others. You must understand that each mental act is a reality for which you are responsible. That is what you are in this particular system of reality for. As long as you believe in a devil,you will create one that is enough for you,and for others who continue to create him.  Because of energy he is given by others,he will have a certain consciousness of his own,but such mock devil has no power or creativity to those who do not believe in existence,and who do not give him energy through their belief.

基本的なところに戻ると、あなたたち一人ひとりはそれぞれの感情、考え、精神活動によってそれぞれのこの現実を創りだしている。それらは現実世界に物質を伴って仮想実現される。あなたは延々と選択肢を提示されていく。それはあたかもある状況は(もともと)好ましくある状況は好ましくないかのようだ。そこであなたが理解しなければならないのはその現実というものはそれぞれの個人の精神活動に基づいているということであり、あなたが存在する現実はあなたにとって特別なものであるということである。あなたが悪魔を信じ続ける限り、あなたはそれを創造し続けるであろう。悪の存在を信じ続ける間、その考えを満たすべき現実、悪が(あなたの現実の中で)生み出され続けているだけなのである。悪は人々が信じ、与え続けられるエネルギーによって人々に初めて認識される。そのように創造された形だけの悪というものは悪の存在を信じるものに対して有効であり悪の存在をを信じない者にはその効力を持たない。

No soul is forever ignorant
those who have such beliefs actually lack a necessary deep trust in the nature of consciousness,of the soul,and of All That Is. They concentrate upon not what they think of as the power of good,but fearfully upon not what they think of as the power of evil.
どのたましいも、ずっと無知、無経験のままでいることはない。たましいに宿る意識はいつもすべてのものであること(All That is)に基づき、たましいへの深い信頼に欠く者は、善のちからに対し十分な意識の集中があるのではなく、恐怖や、悪を恐れる力に意識がおよんでいる状態にあるだけである。(その存在が悪であるというわけではない)
P239
The devil idea is merely the mass projection of certain fears
those times could not understand the concept of god without the concept of a devil.
There are no devils waiting to carry anyone off,unless you create them yourself,which case,the power resides in you and not in the mock devils.
The symbolism of ascent or decent,or of light and dark, would be meaningless to other realities with different perceptive mechanism.

悪魔という存在もありとあらゆることに対する恐れが反映したものにすぎない。
人々の進化の過程において悪の意識なしに、善が理解されない、悪魔の存在なしに神の存在が理解されないときがあったことも確かである。あなたが、あなた自身で悪魔を創り出すことなく悪魔というものがあなたを待っていて、あなたを連れ去ってしまったりすることなどないのだ。
上昇や下降、光と闇、といったシンボリズムは受容の仕組みの異なる現実においては意味を持たない。
P240
the Christ drama could never appear as it appeared within your own. Now the same thing applies to each of your great religions, though as I have said in the past,the Buddhists come closer,generally speaking,to a description of the nature of reality.They have not understood the eternal validity of the soul,however,in terms of your own reality. Not only of your own physical reality,but your own probable physical reality.
The methods the secret methods behind all of the religions,were meant to lead man into a realm of understanding that existed apart from the symbols and stories,into inner realization that would take him both within and without the physical world that he knew.

キリストの存在、(聖書で述べられるドラマ)は今に存在するそれぞれのの自己にあてはめられることはあまりない。それと同じようなことがそれぞれの既存する宗教についていえる。仏陀は一般的に現実というものの本質を見抜いた点で近かった。しかし不滅腐朽のたましいの確実性、自己の現実とたましいとのかかわりや有効性につい、やあなたがたそれぞれがもつ物質界の現実、たましいの仮定にもとずく物質的現実というものについて知るにおよばなかった。すべての宗教の背景にある密かな筋道は人というものがシンボルやたとえ話をもってそれぞれが知る物質世界というものが、内面にあるものが実現化したものであるという理解へと導くべく意図していたのだ。

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Many important concepts were lost,however. The emphasis was on practical method of living-quite simply-rules that could be understood,but the reason for them were forgotten.
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Since consciousness forms matter,and not the other way around,then thought exists before the brain and after it.

しかし、たくさんの重要なアイディア、構想は失われていってしまった。生きる術、生きる規則や秩序が強調されるばかりで、その(大事な)理由が忘れられてしまったのである。
意識が物事の事象を創り出すのであって、物事や、事象が意識を生み出すわけではないのだから、意識は脳というものが(物理的に)存在する以前、そして存在した以後にわたり存在するのである。
A child can think coherently before he learns vocabulary-but he cannot impress the physical universe in its terms. So this inner knowledge has always been available,but is to become physically manifest.
子供であっても言葉を学ぶ以前からきちんと筋道を通して物事を考えている。たましいに内在する真の知識はいつでもそれととともにあり、物質世界にいつでも反映しえるべくいつもそこにあるのである。