2/12/10

Grace

ヨガのクラスに行き始めてしばらくたった。何人かの先生に出会ったけれど、先日のヨガの先生、のオープニングはとても印象的だった。その先生はジュエリーデザインを本業としていて、ベイエリア(サンフランシスコ周辺)のJuvenile facilitiesでの最近の経験を語ってくれたのだ。問題があって社会から隔離されている若者の更正をヨガとジュエリ-創作を通じて行なう試みをしてぃるのだそう。
その施設の若い女性の人たちとのヨガの交流の中で、あるひとつの話題がWhat is grace?"だったのだそう。
英語で言うGraceにはいろいろな意味がある。よく映画の中などで食事の前に行なう短い感謝のお祈りはgraceだし、辞書を引いてみると、優美さ、上品さ、魅力、美点好意、親切思いやり、と幅広い意味がしめされている。キリスト教を文化の根底にもっていることを汲み取っていえば、神様の示し得るすごいこと、すばらしいことの総称とそれに気づいたときの感情なのだろうと思う。

でもサラ先生がそこでその若者たちとの会話と、模索のなかで、不確かながら、最終的に一同、あるレベルで同意したのはFreedom(自由)だったのだそう。鳥が努力せずとも飛びたいときに飛び出せるその自由と、飛びたいときに飛んでいくことの出来るその優雅さ、だと。

私にとってのGraceの意味は、昔グランドキャニオンに行ったときに教えてもらったAmazing graceの歌の雰囲気がずっと根底にあってずっと思い感じ続けてることでことばに表すことはできなかったこと。ただあのグランドキャニオンの絶景を前にしたときのように、ただすごい!と感じることしか出来なかったことなのだけど、今回私なりに考えてみた。
最近いろいろありながらもいろいろ考え続けてきたことへの答にも似ていて、私のそれはは生きててよかった、とか、人生どんなことがあってもそう悪くない、とか、私の人生にたくさんあった人や出来事の中の出会いとか愛みたいなあったかいものへの感謝が私にとってのgraceだって思う。
、誰でも、意に反して何かを強制されていたら本当の意味で感謝を感じること、感謝することは難しいのだと思う。
だからきっといろんなことにかけひきなく感謝することができて初めてサラ先生が言ったようにFreedomの意味が分かるようになるのかなと私なりに思ったのだった。