4/29/10

ササ先生の教え

最近書いてる話題はヨガのことばかり。今日は私のお気に入り、ササ先生の今期最後のクラスに行っててきた。今日はヨガについて語ってくれた。
ヨガの真髄、ヨガの意味はこころとからだのユニティにあるんだそう。そこにGrace があって、Oneness(すべてがひとつのまとまりであること)があるんだと。
英語で言ったらUnity of mind and body...そのプロセスで大事なのが呼吸なんだって。ヨガを生活に取り入れると若さが自然と体に宿ってくるともいっていた。科学的な根拠は無くても、わたしは信じるなあ。サラ先生の締まった体と年齢不詳の明るい印象思うと真実だと思う。変な脂肪ついてないけど、やせてるわけでもなくて姿勢がいい。
今思えばヨガの先生で疲れとか年齢を感じさせる人って少ない。私もこれから若くなるぞ、とちょっと期待してみた。

ヨガのプラクティスの後に必ず言われるあいさつ。ナマステの意味は、"the light in me recognizes and bows to the light in you"わたしのなかの光があなたの中の光に対し敬を表しますって感じらしい。
ヨガをする人大好き。ヨガに対して持っていた私の変な新興宗教の偏見とか、少年あしべのゴマちゃんのまんがにでてきていたネパールの汚いヨガの先生のイメージはみごとにくつがえされた!!!
気持ちのいい汗かくと少しからだの健康を取り戻せたような感じ。こころのほうはまだまだこれから、、かな。昨日の夜はつらいことあって一晩泣いた。でももう平気
明日はもっと元気に光ってますように。。
ナマステ
ナマステ

4/28/10

何気に

何気にブルーな今日この頃。カレンダーを見たら今日は満月。だからかな?何気にちょっともの深く考えてしまう。
今日も張り切ってヨガのクラスにいったものの、お気に入りの先生が来月からサブ(代人)に転向して定期的にクラスを持たないと知ってがっかり。地域でやってるフリー(無料)のヨガクラスもはしごしてる私の日常にはそう問題は無いはのだけど、お気に入りの先生のクラスがなくなるのはかなり寂しい。
ヨガで汗をかいて体を動かすのは楽しい。そこにヨガの楽しみがもちろんあるのだけれども、ヨガの哲学を本当に信じて生きてる人はとても優しくて愛にあふれている。一緒にいたりするだけで、とってもポジティブなエネルギーを分けてくれる。帰ってくるととっても気持ちが軽くて幸せな気持ちにしてくれる。そのサラ先生は、いつも小さなインスピレーションのためのスピーチをクラスのはじめに用意していて勉強熱心さが伝わってくる。毎回、毎回、私にとっては新しい発見があって、ヨガの楽しみ以上のものを与えてもらっていただと思う。
ヨガを始めてばかりのころ、私が初めてとったクラスが彼女のクラスでその日はめずらしく私のほかに誰も生徒がいない日でヨガのボキャブラリもほとんど無かった私に、迷惑そうな顔ひとつせず、マンツーマンで私一人のために指導を淡々としてくれたのを思い出す。あの日一日で学んだことはすごく大きくてヨガにはまらせた。
もともとの始まりはは昨年末に腰をひどく痛めたときのわたしへの友人の一言だった。定期的に腰を痛めていた私のnew year's resolutionだったのだけど、ヨガは姿勢や体にいいだけじゃなくて心にもいい。ついつい食べるのが面倒くさくなりがちなこの私がきちんと1日3食食べるようになったし、薬なしで熟睡できるようにもなった。
病気のこと、からだの限界を思うと悲観的になる私をいつも救ってくれる。いくら自分がが以前よりタフにたなってなって思っていてもやっぱり精神的につらい時期は定期的に訪れる。ただ誰にもいえないだけ。ただそれが通り過ぎるのをまるしかないの。そんな強情な私をサラはおしつけではなく、私がきづかなきゃいけないこと、もっと大事なことをふっとおもいださせてくれて本当によく私を救ってくれた。
私もいつかそんなふうに人を感化できる人になりたいな。そしてこれから一人でも大丈夫でありますように。

ヨガ
ぜひ機会があったらおためしを。。。
ナマステ。。。

4/18/10

日本大好きなひとびと

最近会う人会う人には日本を好ましく思うアメリカ人ばかり。見た目アジア人の私に向こうが無意識によってきてるのかも?こんなに強く堂々と?と思うぐらい。私は初対面で自分からいろいろべらべらと話すほうではないから、短い礼儀上の会話だけでその場を立ち去ることの方が多いけれど、日本について語る相手の日本への興味,憧れはその短い時間だけで怖いほど伝わってくる。

日本について知りたいという人も多い。個人的には日本について知りたい人の多くは日本のアニメ、特に俗に言う日本のオタク系の文化について語りたい人が過去に多かったので個人的には知ったかぶりもできずその時点で黄色信号だったのだけど、私が好きだったときのアニメ文化ともう世代も価値観もちがうはず。。いろいろな関心ごととして聞くくうちに時にはシリアスな質問も含まれてて最近ちょっと考えさせられた。
本当に知りたかったことがどうなのかと言うことはさておき、最近のあるひとりの女性との会話はコミュニケーション専攻だった私にはかなり新鮮な発見で大嫌いだった論文をそれについて書いてみたいような衝動に駆られてしまった。
日本にいつか行くことが出来たときに、”日本人に”失礼なアメリカ人だと思われないようにうにどうすれば礼儀正しくふるまえるかを教えてほしいと言うのだ。
両方の国を知る私にとって、アメリカが自由でなんでもありの国だとしたら日本はルールとかしきたりが強くて従順さ、同一性がモットーの国と言うのが一番シンプルな自論表現なのだけど、こっちのある世代のアメリカ人にとっては日本のルールやしきたりが 異常に魅力的に写っている節があるようだ。箸の上げ下げからお辞儀?の正しい仕方??日本人が絶対に外国人に期待しないようなことをすごく気にしてる。
裏を返せば、アメリカはあまりにも自由すぎて本当はそれゆえにに自分がやってることに自信がない?のかも。そういう変な自信を持ってる人は宗教に熱心だったりしてその価値観を絶対的なものとしてるから自己中な押し付けがましい人が多いし、他の国、他の文化とのかかわりが極端に少ないような感じ。だから宗教ではないけれどルールがあって、宗教ほどのしがらみもなくて、おしゃれで斬新的なのに伝統も歴史もある、そんな日本に惹かれてるのかもしれない。確かに日本には、一種特殊な宗教観が文化、慣習としてある。

私はルールやしきたりに従うことの重要性とか意義を否定はしないけれど、個人的に”右向け右”的にみんな同じ服着て同じ顔して笑ってる北朝鮮のエキシビジョンにも見える自由のない結束こそが美しいという価値観よりそれぞれが好きな格好してただそこに立っていてくれればいいよ的なリラックスした人間の見方が好き。 
どちらも両極端なアイディア であることも分かっているしアメリカにいるからそういえるんだってことも分かってる。でも表面上、オモテ的においては別のこととしてもウラの個人の価値観、考え方は個人の責任だとも思うからそれぞれ違っていいと思うの。ただ誰に対しても自分の意見への同調を強制したり誰の生き方考え方をも否定せず尊重しなければならないというのがむずかしいところ。それはアメリカでも日本でも一番難しくて繊細なところみたい。
かといって、日本の文化を宗教であるかのようにあまり熱心に語られ続けたららわたしはひいていってしまうって!!
一応言っておくけど私、日本好きだよ。興味のあるひとみんなに日本を訪れてほしいし、いい思い出つくってほしい。日本にもっと外国人を受け入れていってほしいとさえおもう。
私なりに日本大好きです。
わかってくれてる?