4/18/10

日本大好きなひとびと

最近会う人会う人には日本を好ましく思うアメリカ人ばかり。見た目アジア人の私に向こうが無意識によってきてるのかも?こんなに強く堂々と?と思うぐらい。私は初対面で自分からいろいろべらべらと話すほうではないから、短い礼儀上の会話だけでその場を立ち去ることの方が多いけれど、日本について語る相手の日本への興味,憧れはその短い時間だけで怖いほど伝わってくる。

日本について知りたいという人も多い。個人的には日本について知りたい人の多くは日本のアニメ、特に俗に言う日本のオタク系の文化について語りたい人が過去に多かったので個人的には知ったかぶりもできずその時点で黄色信号だったのだけど、私が好きだったときのアニメ文化ともう世代も価値観もちがうはず。。いろいろな関心ごととして聞くくうちに時にはシリアスな質問も含まれてて最近ちょっと考えさせられた。
本当に知りたかったことがどうなのかと言うことはさておき、最近のあるひとりの女性との会話はコミュニケーション専攻だった私にはかなり新鮮な発見で大嫌いだった論文をそれについて書いてみたいような衝動に駆られてしまった。
日本にいつか行くことが出来たときに、”日本人に”失礼なアメリカ人だと思われないようにうにどうすれば礼儀正しくふるまえるかを教えてほしいと言うのだ。
両方の国を知る私にとって、アメリカが自由でなんでもありの国だとしたら日本はルールとかしきたりが強くて従順さ、同一性がモットーの国と言うのが一番シンプルな自論表現なのだけど、こっちのある世代のアメリカ人にとっては日本のルールやしきたりが 異常に魅力的に写っている節があるようだ。箸の上げ下げからお辞儀?の正しい仕方??日本人が絶対に外国人に期待しないようなことをすごく気にしてる。
裏を返せば、アメリカはあまりにも自由すぎて本当はそれゆえにに自分がやってることに自信がない?のかも。そういう変な自信を持ってる人は宗教に熱心だったりしてその価値観を絶対的なものとしてるから自己中な押し付けがましい人が多いし、他の国、他の文化とのかかわりが極端に少ないような感じ。だから宗教ではないけれどルールがあって、宗教ほどのしがらみもなくて、おしゃれで斬新的なのに伝統も歴史もある、そんな日本に惹かれてるのかもしれない。確かに日本には、一種特殊な宗教観が文化、慣習としてある。

私はルールやしきたりに従うことの重要性とか意義を否定はしないけれど、個人的に”右向け右”的にみんな同じ服着て同じ顔して笑ってる北朝鮮のエキシビジョンにも見える自由のない結束こそが美しいという価値観よりそれぞれが好きな格好してただそこに立っていてくれればいいよ的なリラックスした人間の見方が好き。 
どちらも両極端なアイディア であることも分かっているしアメリカにいるからそういえるんだってことも分かってる。でも表面上、オモテ的においては別のこととしてもウラの個人の価値観、考え方は個人の責任だとも思うからそれぞれ違っていいと思うの。ただ誰に対しても自分の意見への同調を強制したり誰の生き方考え方をも否定せず尊重しなければならないというのがむずかしいところ。それはアメリカでも日本でも一番難しくて繊細なところみたい。
かといって、日本の文化を宗教であるかのようにあまり熱心に語られ続けたららわたしはひいていってしまうって!!
一応言っておくけど私、日本好きだよ。興味のあるひとみんなに日本を訪れてほしいし、いい思い出つくってほしい。日本にもっと外国人を受け入れていってほしいとさえおもう。
私なりに日本大好きです。
わかってくれてる?