3/24/11

Abraham explains Prayer(祈り)



日本語意訳

私が子供の頃、(キリスト教のカソリックの)教会に行きました。その頃はラテン語でものごとが説明されたりしていて私は神様の存在、神さまのエネルギーをそのときの祈りを通して感じる経験をしました。同様にエイブラハムのセミナーに参加するたびに同じような経験ができてありがたく思っています。エイブラハムは祈りというものをどのように説明するのでしょう。

そのような問題提起の仕方は今までになかったことを説明できるという点で素晴らしいことではあるけれども、少し勘違いのないように詳しく説明しましょう。 あなたたちが呼ぶ神という存在は教会という場所に行くという行為によって経験できるものではないし、そのエネルギー、存在を感じる為に、我々のセミナーに参加する必要などないということをまずはじめに言っておきましょう。あなた方それぞれの存在自体に、そのエネルギーといったものはすでに備わっているのです。どこにいてもそのエネルギーに自分で同調しアクセスすることで神さまという存在とコミュニケーションをすることがいつでもできるのです。たとえば病気を持つものが医者に行くことの効用、回復の可能性を信じることなしにその治療の効果を十分に受け取ることが出来ないのと同じように、何をどのように祈っているのかその祈りについて本当に理解していないようではそのよい結果、効果を十分に受け取ることは出来ないものです。
祈りの力を実感するにはあなたそのものが自己の神さまのエネルギーともいえるその存在そのものを自覚し同調するしかないのです。それは(教会に行ったり、セミナーに参加するということではなく)どこにいてもそのエネルギーそのものに焦点をあて、それに対するあなた自身の抵抗を取り除いていくしかないのです。


人々の祈りというものには二種類あって、ひとつはvortex(幸せを感じる精神感情の状況)の中から発する祈りであって、もうひとつはvortex の外側から発する祈りです。多くの人はvortexの外側から祈りを行いますがその祈りの答えを受け取るにはその祈りそのものがvortexの内側からのものでなければならないのです。
であるから最もパワフルで効果のある祈りは感謝の祈りということになります。なぜなら人が感謝を思うとき、多くの場合人は自然とvortexの中にいるものであるから。
どのような祈りであっても(祈りを生じさせるような)状況の問題やトラウマがあるものですがそれらに物事や祈りの焦点を当てているうちは祈りそのものに効用をみることがないものです。

例えばあなたが困っている人のために祈りたいとします。おそらく祈ってあげたい理由があるのでしょう。そしてその祈ってあげたい理由を見つめ、祈るわけですがそのときに、何があっても、物事の良い側面やその解決策に祈りの焦点があたっていなければその祈りに効用はないのです。その行為、解決策の状況に自己を同調させることにそに祈りのちから、祈りそのものの効果があるのです、それらの祈りの影響を理解することはあなたという存在の力を何万倍にも増すことが出来ます。それがただひとつ、キリストという存在などが他者を癒し導くことが出来た力の理由なのです。どんなネガティブなことがあっても、自己のポジティブな波長を影響されることなく保ち続けることができたことが癒しの力の源であったのです。

多くの人が本当に求めているものというのは多くの場合、その場その場に存在する抵抗を少しずつゆるめるような言葉やインスピレーションそのものであって、癒しや、励ましがうまく出来る人というのはどのような状況においても前向きで、明るい展望をもたらすような言葉やインスピレーションをもたらすことができる存在であることが多いのです。解決策の波長、言葉がインスピレーションそのものでもあり、それが人をvortex の中に導く祈りのちからの源そのものなのです。
あなたが道端で困った人を目にするときは、あなたが申し出できるすべてをもって助けようとするでしょう。
ただ、そのとき、助ける為に、誰かを幸せな状態にするために、ネガティブな影響を与える事象、人すべてをひとところに集めて閉じ込めたり、地獄に落としてしまえ,非難してしまえというのは最も大きな(笑えない)冗談のようなお話です。あなたがするべきことはどのような状況においてもそれらを愛し、祈ることによってそれらの困った人々をvortexの中に導いてあげるということなのです。
多くの人々は、ある環境において、祈りを生じさせるような問題や環境、トラウマの状態に身をおき焦点をそこにもち続けるでしょう。その状況こそがvvortex
というものを大きく激しくする要素です。でもvortex(幸せを感じられる精神環境)の外側から祈りごとをし、その結果を求める理由は分かりますが、求めたものや、求めた答えを受け取るには、祈りをささげる者自身がvortexの中に自ら入り、その内側からの祈りに方針を変えてはじめてその祈りは聞きいれられるのです。
例えばあなたが今困っている人々のために祈りを捧げたいと思うとき、本当にあなたが祈るべきべきことはその困った人を助け、気を楽にするような言葉がみつかること、インスピレーションを求めることでしょう。それが見つけられることを祈るのが最も自然であるし、有効なことでしょう。
そして多くの場合、あなたたちが祈りということについて論じるとき、たいていの場合どのようにすれば善い者だけをいかに有効的に助けられるかというものでしょう。
でも私たちはあなた方一人ひとりにしてほしいのは(俗に言う)善い者、(俗に言う)悪いものの、両方の幸せのためにであって、すべての人がvortex の中に入れるような助け方をもって祈りを捧げて欲しいのです。