3/21/11

イブラハムのメッセージ(要約)



日本語意訳

私たち、今ここで何か説明を複雑にするようなこと言ってしまったでしょうか。
何年も私たちの本を読んでどんなに勉強してるか、延々と述べるのもいけれど、(伝わってなかったようですね、一言で分かる、覚えやすい表現で言ってあげましょう)

「幸せになりなさい、幸せを感じなさい。どんな方法を使っても。」そのために海辺に毎日行く必要があればそれをすればいい、どんな方法でもそれをしなさい、でも、多くの場合において行動は二の次なのです。家出をすることが必要であったらそれをすればいい。でもそうやってするような無理をし、努力することには仕事をやめてしまったりなどお金についてネガティブな面が伴ってきて大きな反撃にあったりするでしょう、であるから、今あなたがいるところ、いる状態に平和を見つけ、そこに幸せを見つけるということを言っているのです。今いる状況に納得し今ある幸せを見つめなさい。そこにものごとを良くするvortex(幸せを感じられる感情の世界)ができていくのです。それがものごとを現象化していくちからなのです。それを理解していないということは人が良く感じる感情の力(幸せの感情のちから)を本当に理解していないのです。多くの人は私たちが書いた本を学び、そこに没頭し、あまりの情報に混乱さえしてしまう。感情に焦点を当てなさいといえば、感情を知らないといい、ひきつけの法則を教えればそんな法知らないといい、求めれば与えられると教えれば、そんなの大嘘だと嘯いて、じゃあお願いした私のものはどこだどこだと大騒ぎする。その大元のメッセージはただ、今あるところに幸せを感じなさい、今ある幸せに感謝し幸せになりなさいということであるのに今度あたしたちがそれだけを端的に言うと今度はシンプルすぎると言ってそっぽをむいてしまう。ただ気持ちが良く感じられるような理由や気持ち、感情がよく感じられるものごとの見方を今ある状況で見つけなさいといっているのです。意味もなくへらへらしていろというのではないのです。子供が初めて出会う未知のものに興味を示しわくわくする感情のことを言っているのです。見知らぬ人との会話に喜びを感じたり、朝目覚めるだけで爽快に感じるその感情のことを言っているのです。あなた一人ひとりに内在する愛の力を通して物事を見なさいといっているのです。たくさんの喜びや感謝する理由がまわりにあふれているのに、その方向を見ずになんでもかんでも無理だ駄目だとこりかたまってしまうとき、自分で自分をだめにしている感情は自分で理解できるでしょう。

元気ですかと誰かが聞くとき、あなたの答えは不適合。ただかみ合っていない、ということになってしまう。今までの私は今までのわたし、本当に今語りたいのはこれからどうするかにあるのだということになるでしょう。あなたの周りにいる人はあなたの感情、思いがただ反映した事象そのものなのです。あなたの環境が(あなたの存在の指針であるということであるし、個人個人の波長が異なるようになると異なった波長を持つ人は人はあなたのそばにもよってこなくなるものなの。
じゃあもう一度聞きましょう、あなたがここで今語りたいことは何なの?

私が行こう、したいとおもっていたことはmasawakening.comという、みんなで集まってこの現実世界に悟り(目覚め)を見つけよう、経験しようという助け合いをするウエブサイトの集まりです。そのことをどのように思いますか?

我々はあなたに心から同情してしまいますね。

それはどうしてでしょう?
みんなで目覚めようというのはとてもよさそうな響きがあるけれど、そこには、大多数が目覚めていないという現実に焦点が当たっていて、(見方によっては)その目覚めていない、目覚める準備ができていない人びとの責任を参加するあなたが負うということになるの。それよりも、みんなにめざめてほしいという思い(ほのめかし)だけに抑えて、少し落ち着きなさい。あなたかたひとりひとりは誰でも、例外なく、自分自身のためだけに目覚めることができるのであって、あなた以外の誰も目覚めさせることはできないし、あなたの責任でもないのです。準備ができていないものを呼びよせるのではなくそれらが自分でめざめたくなるのをまつしかないのです。(目覚めていない状況にまだ呼び寄せられるということは同時にあなた自身がまだめざめていないということでもある)ものごとの理として人は何か好ましくない事象にスポットライトを当てるとき、その事象は大きくならなくてはならないのです。

同じような事象を説明する上で、エスターがウイキペディアと関わったときのことで説明できます。エスターの個人情報があまりにも大嘘だったので何とか間違いを直そうと試みたのですが、なおそうなおそうとすればするほど、その事象や事件だけが大きくなっていって、もう直す方法さえなくなってしまったの。結局のところ、もういいやって放って置くしかなくなってしまったの。
だから何度も言うけれど、意識的、無意識的に関わらず、好ましくない状況にスポットライトを当ててしまうと、その事象は大きくならずにはいれないの。
だから、病からの回復を語るとき、治そうとしているのに、思いがけずに病そのものにスポットライトをあててしまったりするでしょう。(本当に治したかったら、治療そのものではなく健康に焦点を当てるしかないのです)
あなたがしようとする行為そのものが正しい、正しくないといったことを私たちが述べているのではなく、ただそういう現象がおきてしまうと言っているのです。




*tomato note

(無事故点検ではなく、)安全点検が好ましいsafety check!
(戦争反対や戦争拒否ではなく)平和主義が好ましいpeace!
(地鎮を願うのではなく、)自然のちからを讃えよう  Natural,health,wealth and peace!
(損失を数えるのではなく)生存を
(失敗ではなく)成功にsuccess!
(不幸ではなく)幸福にhappiness!
(死ではなく)生に焦点を alive!

借金ではなく)収入に焦点を
(マイナスではなく)プラスに焦点を
好ましくないものを作り出すよりは無のほうが好ましい
無理のないところから少しずつシフトしていくことが大事。