12/22/10

Memory of Christmas

日本ではクリスマスは宗教色の少ない家族行事、子供を中心とした行事、または恋人同士が楽しむイベントのひとつだ。私の育ったところは冬には雪が降り、時には文字通りのホワイトクリスマスとなることがあっても大人になった最近では、クリスマスケーキは食べても、家の中にクリスマスツリーやクリスマスプレゼントなどあまり意識しないことのほうが多かった。

学生時代から私にはクリスマスカードを書く習慣があって、きれいなカードを年賀状と一緒にして選ぶのも楽しいことだった。大学ではキリスト教を教えていたから、お祭りごとの好きな私は友人らとこぞって雪の中キャロリングに廻ったりもした。本当にすごい音痴で歌のうまくない私がなぜあんなにはしゃいで参加できたのだろうかと時々不思議にも思うものの。あの頃はただ若かった。20才前後の大人になる直前だったように思う。学生同士集まってお酒やおでんを囲んだり、夜通しゲームをして大笑いして過ごしたり。友達とのパーティーは計画するのも参加するのも大好きだった。
残念なことに、結婚してアメリカに来てからのクリスマスはひとりで過ごさなくてはならない夜ばかりでクリスマスそのもの はけっこうさびしい行事に変わってしまった。
結婚していたときは夫がクリスマスの商業主義そのものに対する抗議だと、婚約していたときには行っていた家族間のプレゼント交換も結婚後は自然ととなくなっていき、それが当たり前になっていた。だから私は人に物をあげてもプレゼントとは呼べず、自分で自分にプレゼントを買うようになっていったのだった。
結婚して最初のクリスマス直前に倒れた私は12月の数日を病院の救急センター、そして家から離れた遠い病院で過ごしていた。そのときの病院の屋上に飾られていた電飾のクリスマスツリーが妙に悲しくて、今思い出してもつらさ、寂しさがよみがえるけれど、日本での病気治療の後、元気になってアメリカに戻った後の最初のクリスマスは妙に輝いていて、夫と結婚したこと、アメリカに戻ってこれたことが本当にうれしくて心から感謝したのを覚えている。
12月という月には本当にいろいろなできごとがあって、大人になってからはつらいことの方が多かった。この頃って私にとっていろいろな節目が重なる時期なのかもしれない。そのせいか毎年心のどこかで12月を警戒してしまう私がいる。
それでも、クリスマスの雰囲気は大好きだし、クリスマスケーキもクリスマスキャロルも雪も大好き。今私の住むところに、ホワイトクリスマスが来ることはありえないけれど、時に、雪がぱらつく少し内陸からの冷たい空気に雪の匂いが時々感じられる。そんな時私は
一人にんまりとしてしまう。雪の匂いは本当においしい。
クリスマスそのものの、目的、意義はともかく、少なくとも新年直前の家族行事。プレゼントがあってもなくてもみんなが笑いながらいい日が過ごせますように。