12/2/10

Movie and Bible

私は大学時代、新約聖書を授業の課題のために読んだことはあっても、それ以上の時間を聖書に費やしたことはあまりない。
キリスト教学のクラスで、聖書の中から自分で印象に残ったテーマを見つけて書くという課題に取り組んだとき、、私はおそらくひととおり読んだのだろう、と思う。けれど、本を好きな私がいつもおぼえているような興味関心をもったようなことをみつけた記憶がない。私はたぶん、いろいろな 使徒の書簡で続くページをみて、こんなにたくさんの手紙などがひとつの事象について書かれていたことが感嘆すべきことであるということ、世界中でこんなに多くの人に読まれている書物であるから、そのひとつひとつの手紙が、ラブレターのように何か大切なことをを伝えるべく、何度も書き直しのきく、手紙という方法、、手紙という形態をとっていてすばらしい、感慨があるというようなことを書いて提出したような気がする。

そんな私が最近図書館でDead poets societyという映画と共にたまたま見つけたのははナザレのイエスという(Jesus of Nazare)っていう聖書もの。いろいろな哲学めいた本を読む中で、聖書についての記述が出てくるたび、それなりのサーチをオンラインでしても、全体像が見えてないことがわかっていたから。長いこと興味はあってもあの厚い本を開く機会に恵まれなかったし、無理にどうしてもというそんな気にもなれなかった。映画ならいろんなことがビジュアル化されていて分かりやすいのかなと思って映画を手にとってみた。いろんな物語が書物から映画化される中で、私の経験から言うと、いつも原作の本のほうが映画の出来具合をいつも上まわるのだけど、今回は別かもと思いトライしてみた。、メルギブソンのパッションは最後まで見れたことでもあるし。
トライしたんだけれど、今回は2枚組みのDVDのうちの2枚目半ばでギブアップ。
だって、登場人物の多さにびっくり。みんな同じような名前だし、混乱ばっかり。主人公のジーザスのセリフなんかに興味を惹かれても、全体として長すぎ!!だった。でも彼が、世に言う嫌われ者と好んで時間を過ごしたということ、そしてしきりに、ついて来いついて来いと人を誘っていたことが印象的だった。
話を追っていく中で、しきりに叫ばれていたkingdom of heavenとかGod,
Law” とかそんなことばがあまりにも宗教色ありありで、なじみのない私にはそういうとこがついていけなくなった理由だったんだと思う。法を説くから罪とかsin いうanalogyが使われていたんだと納得しつつ、
仮に、Godを goodness, に、sin forgiven をmore chance givenに いたずら心で入れ替えたら、そのシーンそのシーンごとが現代的なもっといいメッセージになりそうな気がした。Mercyは仏教だけの言葉かと思ったらそうでもないんだ。でも love と mercy の意味に違いがあるとしたら何なのだろう。

俗に言うクリスチャンではない私には聖書の意味を理解できないようです。しきりに使われるFather,Son,という言葉にまつわる、トリニティについてのキリスト教の言い分をよく理解していないからかもしれない。それでも私はSethの語るJesus像の方に納得しているからSeth の説明を信じているけれど、いまだにその本を読む度に違う答えが見つかることから自分が正しく理解したのかどうか自分でも確かでなく、間違ったことを書きたくもないけれど、Sethがtrinityについて伝えたかったことはこんな感じのことだったと思う。
Trinity as father son,holly spirit,  It was just analogy  for the people  who were underdeveloped in spiritual realm,for the people with   "reality" based understanding and it was attempt trying  to make them understand it for simpler, easier.
what trinity  really mean is Physical existence( having physical body,as extension of nonphysical),spirit (or soul that exist as whole) and holly god source energy go through that is pure goodness and  love.
 When people see God look like human,or what people called God is  very limited definition because no one really  know what god really is or  could do

要は、父、息子、聖なるスピリットという三位の存在や神といったものを表現するあらゆる言葉や表現は人の肉体、(もしくは物質的)な要素と精神的(霊的ともいえる)要素、そして人と神という存在の関係を伝えようとした一つのたとえを使った比喩であって、俗に言う、父というもの、息子というもの,霊、神というものを一辺倒に言葉通りにとり、凝り固まった見方をしているうちはその本質からかけ離れてしまう、もしくはかけ離れてしまっているということだと思う。