12/31/10

clairvoyance

 数年前私はあることで迷っていてずっと答えが見つからない日々が続いていたときがあった。
論理的に考えることと、気持ちで感じることに大きなギャップがあったのだ。それを埋めることがどうしてもできなかったし、どうするのが正しいことなのかどうしても理解できなかった。そのときは夫の親の援助や自分の家族からの精神的、経済的なサポートも多く、表面的にはとても恵まれていたのに不安と迷いばかりだけが募っていたのだった。
私が初めて英語で言うところのclairvoyanceに会いに行ったのはおそらく、そのころのことだったと思う。その頃は占いを見るような余裕も私の心にはなかった。春に家出をし、一か月ほど夫から離れてお友達の居間で過ごしていた。ただ正しいことをしたくて仕方がなかったゆえにとった行動だった。結局のところ、夫は私を迎えにきて、たった一度のやり直しのチャンスを与えることなくこの結婚を終えてしまってあとで後悔はないのかという彼は私に問うた。そして私は、彼の正しさを信じ’もう一度結婚生活にチャンスを与えることにしたのだった。
その決心をしてすぐ後、私は日本の家族のもとへ帰省し、clairvoyanceにその判断が間違っているのかいないのか相談をしたかったというのが初めてその人に会おうと思ったきっかけだった。
当時の私にとって、病気の回復を遂げた後、人生にそれ以上もう望むものはもう何もないような気がしていた。同時にそれ以上を望むのは欲張りのような気がして、あとどれだけ人生に対して私が望みを持つことを許されているのでしょうかと率直に 聞いた。その人の答えは私の人生はまだまだこれからで、何をやっても大丈夫でしょうとのことであった。しかし、結局夫とのやり直しはうまくいかず、2007年夏、私は夫から離れることを再び選び、別居をし、現在に至っている。

その後の日々は素敵な人々との出会い、最高とも思える経験、そして史上最大の難題で埋められていた。それは初めてアメリカで仕事を持った時から始まった。そのときにはそのうれしさと充足感から、初めてこの世にいるかもしれない神様に祈り感謝した。私をそこまで生き延びることを支えてくれたすべてに感謝して、もし自分が苦しんでる人に出会ったら、私はその人のためにどんな助けでもすると神様に感謝し祈っていたときもあった。
そしてその後、目の前に現れたのは最高の経験と一時的に訪れては消えた耐え難い痛みと迷いの連続だった。
私が直面し、経験したこの数年のすべてを、客観的に物語として語ったら、ひどく長編のドラマティックな映画になるのだろうと思う。第三者から見ればとても奇妙なこの数年の生き様であっても、この経験によって私は初めて生きていられることに心から感謝することが出来たし、心からこの世に生を受けたことを、この経験をさせてくれた両親に対して感謝することができたのだった。
私が語るその物語は自分が中心のラブストーリーで、少しのSifiの要素を含んでいる。しかもそこに登場する人物の一人ひとりにも序編と呼ぶにはひどく長い内容の濃いラブストーリーがあったことを私は知っている。私が知っているのは結末は登場人物の数だけ存在するということだけで、それ以上はよく知らない。私の物語の結末は私にもまだ見えてはいないがあのclaievoyanceには見えていたのだろうか。興味深い。