11/30/10

戦士 (Jedi )

高校時代、よい教師に恵まれていた私はある春にリーダー研修という研修会に参加するよう指示された。集団である場所に集まっていろいろな活動をしたのだが具体的に何をしたのかよく覚えていない。きっと参加することに意義がある程度の講習だったのだと思う。その会の締めくくりは円陣を作った参加者と共に集うなかでいろいろな発表があり、私は最後にみんなの前で詩の朗読、献詩をした。その詩はあらかじめすでに選ばれ、決められていたものであったけれども、私の日記にきちんと記されていたぐらい印象深いものだった。

戦士     福重紀子

生きることは闘いだから
僕らは孤独な戦士
使命を与えられ
この世に生を受けた
「未来をこの手に」
自分自身の人生を勝ちとれ
孤独な闘い
けれどもきっと気づくだろう
決して、ひとりではないということに
君が傷つき倒れたとしても
誰も君を見捨てはしない

 warriors
Since to live is about fighting,
We all are lonely warriors,
Given mission to own life,
Given life to this world,
"Future into this hands"
Win your own life,
Lonely fighting,
But you would realize (soon)
That you are never alone,
 Even if you fall beaten hurt.
 No one would abandon you behind

-my translation

ベビーブーム時に生まれた私の世代の受験戦争はそれまでになく厳しくて、何をしようにも倍率は記録を塗り替えていくような状況ばかり。、バブルがはじけそうな時代の真っ只中で、学生時代の私はとにかく後悔のないようにとそのときできる勉強を熱心にとにかく励んでいた毎日だった。それでも、どこか拭い去れないウツを自分の中に 背負っていた私はこの詩になんともいえない慰みを見たのだと思う。

私はその当時も今も変わりなくテレビや国際情勢に興味を失ってる。最近特にいろんな本を読んで、戦うということの意味を知った最近は、その表現自体にも興味をなくしていったのだった。でも、もしこの世に戦うことがあるとしたら、自分自身や個人の自由、心の自由を守るためかもしれない。
 fight  against war fight against drug, fight against cancer(アンチ戦争、アンチドラッグ、アンチ癌) というすべてを敵と味方、そしてそこには闘いがあるとする見方や風潮に対して、attackers only attack themselves (攻撃者は攻撃者そのものしか傷つけることしかできない という表現がいつも私には思い出される。人の行いの結果というものが、一時的にどんなに不正義で不公平に見えても、人の良さを、正義を信じぬくこと、どんなにある人が俗にいういけないことをしていても、その本当の人となりは善であるということを信じること、それもひとつの闘いのようで私は時々混乱してしまう。
turn the other cheek とはこのこと?おそらく戦争反対ではなく平和の大切さを、癌との闘いではなく健康のありがたみと快適さ、命や人生の大切さをを、ドラッグを憎むよりもドラッグのない生活の快適さ、人生のすばらしさをもっと語ろうということかもしれない。その上での孤独な闘いって、目の前にあるもの、見える有様にもかかわらず、自分が信じることに忠実に話し行動できる存在であることかもしれない。




エイブラハムとの対話の中で、ジェリーがエイブラハムに聞いたことがある。
私があなたの教えを信じても、信じていない他の者は私をいいように利用したり私が攻撃されたりしてしまう怖れがあります。自分の身を守るためにどうすればいいのでしょうかと。
 世の中には弱い立場の者をくい物にするような犯罪、弱い者、弱い女性だけ乱暴したりするようなことが起きているのです。レイプ(強姦)をそのたとえにするならばレイプをするものだけを一所に集めて隔離してしまうことができればえばこの世はもっと平和になると思いませんか。
この世はすでにそれが完璧な方法でなされているとエイブラハムは答えるのだった。人というのは思考、考えによって、またその注意、関心の波長によって事象を引き寄せる存在である。類は友を呼ぶ、(bird of feather flock together)といった、それがLaw of attraction(ひきつけの法則)の基本である。そしてそれが現実、物質世界に現象化するにはその存在がひきつけた事象と同じ波長になることによるのだ。(Law of Allowing) そのふたつを理解すれば、被害者と加害者の波長が重なり合うことでそこにそういう事象が起きる、そういった経験が生じることがとわかるだろう。(怖れや心配といった思考(波長をもって)なしに、人が加害者と同じ波長になったり被害者になるということないのだ。そこを理解していないからそういう心配が生じているということに過ぎない。(逆に言えば、被害者にならないような、関心やその波長を持たず、いつもポジティブな波長を持つ人はそういう経験からはじめから安全なのだとブラハムは答えるのだった。


よってなにかに対峙するには愛するとか理解するということ以外
闘う方法はないようです。闘うということは本当はそういうことかもしれない。
だから一人ひとりはこの詩に見られるような戦士というのではなくてStar warsの映画の言葉を使うとひとりひとりがJedi といったところだと思うの。
いかがでしょう?かっこよくない?
May the force be with you.....
:)