11/22/10

Big Blue (movie)

和名ではグランブルーというフランスの映画がある。
潜水を競技とする舞台、背景に、二人の男の生き様が描かれている。面白いのはこの映画の結末が、見る人によってふたとおりの結末が可能であり、そこからひとつを暗に考えさせ、固定した結末をもたずにストーリーが終わるところにある。その結末の解釈によって、映画の評価、個人の評価、命というものに対するものの評価が現れてくるので、ある意味、試金石のような興味深い映画だった。私はこの映画を二度見ていて、一度目はよく理解できないまま、ストーリーや内容さえ強く印象に残ることなく忘れ去られていた。
今夏、私はこの映画を見て、印象、理解を新たに、その奥深さに感嘆すると同時に、私はまだまだ人間がなってないとも反省したんだけどね。

ストーリーは二人の少年の生き様を描いている。
幼少の頃より潜水に親しむ二人の少年は成人し再び出会うのだ。一人はプロフェッショナルの潜り士として、もう一人はプロではないまでも、水中をを潜ることを続けており、驚異的な活動をしていた。やがて二人は競技会で互いに争うことになり互いの友情を深めていく。互いに競いながら、深海中に潜るということ、生と死の限界を行き来しながらも、水中の深み、より深いところへと限界を求める二人は長年の同士としてわかりあっていく中で、物語の焦点は人の生き様からは死に様へと移っていく。

ひとりの男は限界を超えてしまい、、生きるための救助ではなく水の中で死ぬための助けを請い、死を選ぶ。友情をもってその役割を果たすもう一人の男は、水中の世界へのこだわりから抜け出せないまま、なおも限界を目指し、深みを目指そうとする。
肉体的限界を見始めた彼に恋人である女性は妊娠を告げるのだが、彼はやめることができない。そんな彼を彼女はついに彼女みずから彼を水中へと送りだすのだが、彼が生きて水上に戻ってきたというシーンは存在しない。一面に広がる海水の深いところで、一言、自分の娘にこれを捧ぐと短いなメッセージが残されて終わるのだ。私は最初、彼がそのまま死んでしまったのだと思った。でも、後から、娘のために戻ってきたからこのストーリーが存在したんだと思い直した。
この潜水競技に挑戦する日本人の姿も手短かに描写されていて、何故あのシーンが必要だったのだろうと思ったとき、
名誉ある死として、死を、自殺を美化しがちな日本人、日本の文化を軽く風刺してもいたのかなと後でで思ったりもした。
結末を選ばせてくれたのは作り手の、押し付けの全くない死というものへの、もしくは生に対する思いがうまく表現された形と思う。
生も死も、選ぶのはそれぞれだよってこと、かな