11/28/10

Stream_No gain in pain?



日本語意訳
Stream(奔流) of Well being(幸福な状態)

あなたがカヌーに乗って流れの激しい川にカヌーを置き、上流に向けて一生懸命こぎ始めることを想像してください。
わたしたちがそこで言いたいのはどうして流れに乗って下流に向かっていかないの?下流に向かって流れに乗っていったらどうでしょうということなのです。

それなのにあなたたちはそれがあまりにも怠惰なことのように私たちに説明します。、そしてきっと私の母親や教師はそういうことを承認しないからと、だから私は上流に向かってこがなければならないという。この世の褒美や名誉、壁に飾られ、誇られるようなことはみんなこのようにがんばって上流にこぐことで成し遂げられたことのはずなのです。そうでなければフェアではありません。上流に向かって闘えば闘うほどいいにきまってるはずですと。たとえその結果死んでしまったとしても聞くところによるとそのご褒美は死後にもっとあるのだと。ここで覚えておいて欲しいこと、記録しておくに値することはあなたが欲しいものは上流にはないということです。
何故私たちがそう知っているかというと、我々には人生のサイクルというものがみえるからです。誰もが求めるような、人が幸せに感じる、ポジティブな感情を感じるときというのは
人がその流れに乗っている状態夜間上以外のなにものの状態でもないのです。

あなたの目には幸せの流れではなく、同時にには病気の流れ、悪の流れというものが存在しているはずですというかもしれないが、そうではない。ただひとつのwell being幸せの状態の流れひとつしかないのだ。ただその流れに沿っていくか行かないかそれだけである。
そして、我々にははその流れをせき止めるということがあなたという存在にどんなダメージを起こすかということもよくわかっている。
ただひとつの幸せの状態の流れというものがすべての根底にあるというなら、何故私たちはネガティブに感じるのでしょう?とあなたたちはいうかもしれない。なぜならそれはあなたたちが自分で激しくしている流れに乗っていかず流れの底にしがみついているからです。
そのな流れというものはあなたが好んで行く行かないに関わらずあなたたちを下流へとみちびく偉大なものです。
流れに沿っていく感覚、それにともなう感情というのがポジティブな感情、喜びや自信、幸せといったものなのです。あなたたちが想像するような死というものは存在しないが、我らのよく見る”くたばり”というものは存在する。あなたたちがその”くたばり”という瞬間を迎えるとき、あなたはその流れに乗って肉体を失いすべての抵抗を失った存在に再出現するのだ。(ゆえにそれで終わりというところの死は存在しない。)

ジェリーとエスターが激流のラフティング(川くだり)に参加したときのこと。、ラフティングのガイドは彼らに言った。私の言うことを聞いてください。この流れはとても激しいものだから、流れに沿っていかず、あちこちにある岩に乗り上げてしまったら投げ出されて危ないし大きな問題になり、流れそのものがあなたというものを打ちのめします。うまく岩をよけるための指示をよく聞いてくださいと。わたしたちもそれと同じことをあなたたちに言いたいのです。私たちが教えている偉大な流れというものに身を任せればすばらしい経験が待っているのです。その流れそのものも、神という存在やその他のものが試練として、さあどれだけよく乗り切るか観察しようとあなたに課しているものではないのです。あなたという存在そのものがその流れを速めているのです。自分が作り出した流れ、激しさにのっていかず、流れに逆らっていく感覚、怖れ、非力さ、すべて流れの速さに追いつかず逆らう感情や行為そのものから生まれるのです。その (人生の)川くだりを楽しむにはそういったネガティブな感情、抵抗をなくしていくしかないのです。

ある日セミナーの参加者であった母親がランチタイムに子供たちとランチを食べてまたセミナーに戻ってきました。そして、子供たちに聞いてきて欲しいといわれた質問を私たちにしました。どうして大人はこんなに気難しいのでしょうかと聞いてきて欲しいというものでした。
そして我々はは今まで聞いた中で、最も説明したい、いい質問だとして答えた。
大人は子供よりも気難しい。気難しい子供というものも存在するけれども、大人のほうが一般的に気難しく不機嫌である。なぜならそれは人というものは長く生きれば生きるほど流れそのものがどんどん早くなっていくのに、長く生きた分、空騒ぎすべきことも知り、その加速した流れにうまく乗っていけなくなっていくから。流れに追いついていくことができない状態そのものこそがネガティブな感情の源なのである。だから不機嫌になりやすい。
あなたという存在はもともと喜ばしい存在で、偉大な流れに乗って楽しみ行く存在なのです。そしてそのすばらしく感じる瞬間やそれに伴う感情にこそすべてを理想的に現象化していくためのエネルギーの源があるのです。そこを流れに逆らい、ネガティブにとどまったまま、その感情、状況ばかり感じて腐っていると夢の実現化が遅くなったり、人生の流れの中で夢が実現しなかったりしてしまうのです。

本当の人生において日々の本当の選択というのは流れに身を任すことができるかどうか、よく感じるかよく感じないか。その決定だけです。だふたつの選択しかないのです。よく感じられる方向を選ぶということは継続的に続くよい経験を生きるということにつながるのです。

このような我々の話を聞いた一部の者はよく感じたほうがいいということを理解し、じゃあ是が非でも下流へとがんばりはじめる。それでも、だからといってモーターをつけて早く下流にたどり着くようにと言っているのではないのです。根底にある偉大な幸せの流れというものはどんな状況にもかかわらずいつも流れているのです。その偉大さゆえ、ただ信じて上流に向けてこぐのをやめるだけでいいのです。後はその流れがすばらしい経験へとあなたを導いていくのだから。どのような状態においても、下流を向いて自分に安堵や息抜きを与えること、そのポイントこそがものごとがよくなっていく瞬間そのものなのです。あなたという存在はよく感じる方向に行くしかない存在なのです。